至和元宝
宋朝四代仁宗(在位 1022年3月23日 - 1063年4月30日)は、皇祐六年四月に至和と改元した。
至和元年(1054年)に改鋳を行い
至和元寶
至和通寶
の2種真・篆2書体を鋳造したといわれる。
ただ、通寶は一種しかないので元寶のみで、種類も少ないとされる。
仁宗(じんそう)
北宋の第4代皇帝(在位 1022年3月23日 - 1063年4月30日)。
真宗の崩御に伴い1022年に即位した。
真宗の崩御に伴い1022年に即位した。
英邁な資質を持った皇帝とされ富弼や文彦博をはじめとする人材を多く登用した。
文治主義に偏重し軍事力が弱体化しており、西夏などの圧迫を受けるなど対外的には危機的な状況が続いていた。
仁宗は宋の常備軍の強化などの軍事力の増強を行なった。
一方では、西夏や遼に対して銀をはじめとする貢物を贈ることで友好関係を維持する外交を展開した。
ただ、この財源を確保すべく重い賦税を民衆に強いる事となり農村の荒廃と民衆叛乱を引き起こしている。
こうし混沌とした安定な社会を改革すべく、改革を求める党派も出現した。
その後、新法・旧法の対立に代表される権力闘争の原型を形成した時代とされる。
1063年、嗣子が無いまま病死した。
なお、仁宗の治世の時代は、慶暦の治と称されている。
なお、仁宗の治世の時代は、慶暦の治と称されている。