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2015年04月06日

天保通宝(てんぽつうほう)


 天保通宝(てんぽつうほう) 

 江戸時代末期から明治にかけての日本で流通した銭貨のこと。
 別称 天保銭(てんぽうせん)と


 銅製で、重量は5.5匁(約20.6グラム) 形状は、小判を意識した楕円形で鋳造された。

 中心部に正方形の穴が開けられている。

 表面には「天保通寳」、裏面には「當百」と表記され、金座後藤家の花押が鋳込まれた。
 
 
 天保6年(1835年)に創鋳された。貨幣価値は100文とされたが質量的に対応した額面(寛永通宝100枚分)の価値は全くない貨幣であり実際には80文で通用していた。


 幕末の混乱期であったため偽造も相次いだ。


 明治維新後も流通したが、明治24年(1891年)12月31日を最後に正式に通用停止となった。

 
 明和5年(1768年)に銀座が真鍮四文銭の成功により潤ったことに対抗し、金座御金改約の
   後藤三右衛門光亨
の発案により金座主導で高額の銭貨の発行となった。
 天保通寳は鋳造が行われることとなった。

 
 天保6年6月15日(1835年)に鋳造が始まり同年9月2日より発行され、鋳造は翌7年12月(1836年)に中断された。
 このときまでの鋳造高は29,710,700枚であった。

 その後、8年8月(1837年)に再開され天保年間の合計は39,735,200枚とされる。
 なお、天保年間の鋳造により幕府が得た利益は180,800両という。

 弘化4年10月18日(1847年)に鋳造が再開され、天保6年からの総鋳造高は484,804,054枚とされる。

 
 寛永通寳鉄銭および真鍮四文銭の大量発行により明和年間以降、銭相場は下落しており、天保通寳の発行によりさらに拍車をかけた。

 貨幣収集界には天保6年から翌年鋳造分を「長郭」あるいは「中郭」、8年から13年までのものを「細郭」、弘化4年以降のものを「広郭」としている。

   

  
 天保通寳は幕末期に偽装工作としての地方貨幣発行の陰で各藩による密鋳が横行した。

 なお、明治時代に引換回収された天保通寳は5億8674万枚にも上ており、江戸幕府の金座および貨幣司が鋳造したものを1億枚以上も上回る数であった。

 ただ、流通高のすべてが回収されたものではないため、密鋳は2億枚程度に達したと推定されている。
 

 密鋳に関わった藩としては水戸藩、久留米藩、薩摩藩、福岡藩、岡藩、土佐藩、長州藩、会津藩、仙台藩、久保田藩、盛岡藩など10を超えるという。

 また、素性の不明ないわゆる「不知銭(ふちせん)」とされる天保通寳も多種存在している。



   





 <分類 古銭用語>

 


     



    


  
posted by まねきねこ at 04:00| 愛知 ☁| Comment(0) | スタンプとコイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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