寛永通寳 (二水永背三)
寛永3年(1626年)に常陸水戸の富商
佐藤新助
が江戸幕府と水戸藩の許可を得て鋳造したのが始まりとされるが、この時はまだ、正式な官銭としては用いられなかった。
このときに鋳造されたとされるものが、いわゆる二水永(にすいえい)と呼ばれる。
表面の「永」の字が「二」と「水」字を組み合わせたように見えるもので、裏面の下部には「三」と鋳込まれ、鋳造年の「寛永三年」を意味するといわれている。
新助はやがて病死したため、鋳造が途絶えた。
新助はやがて病死したため、鋳造が途絶えた。
九年後の寛永12年(1635年)に新助の息子、佐藤庄兵衛が後を継ぎ再び鋳銭を願い出て翌寛永13年(1636年)に鋳造を再開した。
このときの鋳銭が背面に「十三」と鋳込まれたものであるとされる。
<分類 古銭用語>