当ブログ内の情報はあくまでも参考情報です。投資にあたっての判断は投資する人の自己責任でお願いします。
当ブログでは、一切の責任を負いませんでご了承下さい。

マーケット出来事貴金属とレアメタル宝石と宝飾品貴金属の取引方法貴金属取扱会社

2015年03月08日

寛永通宝 江戸期の銭貨



寛永通宝(かんえいつうほう)

 日本の江戸時代を通じて広く流通した銭貨で状は、円形で中心部に正方形の穴が開けられている。

 表面には「寛永通寳」の文字が上下右左の順に刻印されている。


     




 寛永13年(1636年)に鋳造が始められ、幕末まで続いた。

 形材質は、銅製の他、鉄、精鉄、真鍮製のものがあった。

 貨幣価値は、裏面に波形が刻まれているものが4文、刻まれていないものが1文として通用した。
 当時96文を銭通しに通してまとめると100文として短陌し、通し100文として取り扱われた。

 
 寛永通宝のうち、万治2年(1659年)までに鋳造されたものが古寛永と呼ばれる。


 その後しばらく鋳造されない期間があり、寛文8年(1668年)以降に鋳造されたものを新寛永(しんかんえい)と呼んだ。

 なお、この古寛永と新寛永は、製法が異なり、貨幣に表された文字(銭文)の書体も顕かな違いが認められる。

 
 元文4年(1739年)頃には鉄製1文銭が作られ、明和5年(1768年)には真鍮製4文銭が制定されている。

 その後、万延元年(1860年)頃には鉄製4文銭が出現している。

 
 銅または真鍮製の寛永通宝は、明治維新以後も貨幣としての効力が認められ続けた。

 昭和28年(1953年)末まで、真鍮4文銭は2厘、銅貨1文銭は1厘硬貨として法的に通用していた。
 ただし、通貨として実際的に使用されたのは明治中期頃までといわれている。

 

 中国大陸の各地でも寛永通宝が大量に出土した例や記録文献などから、清代の中国でも寛永通宝が流通していたことが判っている。

 明朝においては、銅銭使用を禁じ、紙幣に切り替えていたものの、満州族の清代になってから銭貨の使用が復活した。
 銭貨の流通量が極端に少なかったため、銭貨需要に応えるべく、日本から寛永通宝が輸出されたという。





         ↓ 参考になったらクリックお願いします。
   
     人気ブログランキングへ
 

  

 <分類 古銭用語>

 


     



    

    
posted by まねきねこ at 01:00| 愛知 ☔| Comment(0) | スタンプとコイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: