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2015年01月11日

武田 信玄(武田 晴信) 甲斐の守護大名


武田 信玄(武田 晴信) 
  大永元年11月3日(1521年12月1日)
        −元亀4年4月12日(1573年5月13日)

 戦国時代の武将、甲斐の守護大名、戦国大名 
 甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主 


 諱は晴信、通称は太郎(たろう)
 一般的に知られている「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。

 
 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男として生まれた。

 室町時代の甲斐では守護代の跡部氏や国人勢力の台頭により守護武田氏の勢力が弱体化していた。


 信虎の祖父にあたる信昌期には跡部氏を排斥し国人勢力を駆逐した。
 こうした努力で守護権力が回復する一方で河内領主の穴山氏や郡内領主の小山田氏など新勢力が台頭していた。  

 新興の国人勢力は隣国駿河の今川氏や相模の伊勢氏(後北条氏)と連携して守護武田氏と対抗していた。

 信昌の嫡男・信縄と信昌が後見する弟の油川信恵が対立し、武田宗家の内訌も関係し甲斐一国は乱国状態に陥っていたが好敵手が死亡したことなどで武力鎮圧して国内統一を達成し戦国大名化した。

 信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻、その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大した。


 晩年、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃で病没した。



 なお、江戸時代の『甲陽軍鑑』に描かれる伝説的な人物像が世間に広く浸透し、「風林火山」の軍旗を用い、甲斐の虎または、龍朱印を用いたことから甲斐の龍とも呼ばれるようになった。





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posted by まねきねこ at 12:20| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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