ロイ・アルバート・デメイオ(Roy Albert DeMeo)
1940年9月7日 - 1983年1月10日
ブルックリンのフラットランズ(Flatlands)出身でガンビーノ一家のカポ(capo)だった人物
身長は5フィート9インチ(約175.3cm)。
アルコールは五感を鈍らせるという理由でめったに酒を飲まなかった。
銃のコレクターで南北戦争以前の時代物を好んだ。
ガンビーノ一家の幹部
から数多くの殺しの命令を受け、実行した
殺し屋集団"デメイオ・クルー"(DeMeo crew)
を率いていた。
"デメイオ・クルー"はニューヨーク市フラットランズにあった「ジェミニ・ラウンジ」というバーを拠点としてコミッションの許可を受けたトラブル処理の活動をしていた。
カステラーノは自らの義理の息子が美人と評判の自分の娘と結婚しておきながら他の女性たちと不貞を働いたり妊娠中の彼女に対してしばしば暴力を振るいとうとう流産させてしまったことに怒り、カステラーノの命令で義理の息子の殺害もしている。
"デメイオ・クルー”が1970年代半ばから1980年代初頭までの間に手に掛けた人数は、45人〜200人と見られている。
"デメイオ・クルー”の仲間内からの証言者からクルーの残酷な殺害方法が明らかになっており、処刑はしばしばブルックリンにあるアパートで行われたという。
暗殺処分の下った人物をそのアパートの一室に連れて行き、サイレンサーつきの銃で頭を撃ちぬいたあとすぐさまタオルをその頭に巻きつけ出血を抑え、その後まだ動いている心臓をナイフで一突きにして流血を止めるという方法であった。
その後遺体を風呂場にもっていきシャワーにあびせながら体内に残っている血をだしきりリビングルームに戻しそこで解体した。
バラバラにされた遺体はいくつかのバッグに分けて詰め一家が支配しているごみ処理場に捨てるというやり方だったという。
1976年ポール・カステラーノの前のボス カルロ・ガンビーノの葬儀には参列した。
1977年に正式なマフィアのメイドマン (made man)になり自動車窃盗団を仕切っていため、とてつもなく金回りが良かったという。
1977年に正式なマフィアのメイドマン (made man)になり自動車窃盗団を仕切っていため、とてつもなく金回りが良かったという。
ロイの仕事は手下を使い車を盗み、盗難車を販売、あるいは改造・部品として解体することや、高利貸を主な収入源とした。
また、コールガールを使った売春業もやっていた。
ロイは中絶に反対する者に金を渡し運動までさせており、中絶を問題化させた。
ロイは医学会に何人か知り合いがおり、そのコネを使い中絶に関わった医師を脅して弱みに付け込み金を搾り取った。
収入が急増たため、ロングアイランドで弁護士や判事などエリート層が住む高級住宅地に大きな家を建て、メイドも雇うようになった。
ロイのようなブルックリン出身者にとっては、そこに家を建て住むのはアメリカンドリームの実現のひとつだった。
その後、部下が盗難車に指紋を残して捕まったため、ロイもFBIに追われることになった。
1979年、自分のグループの部下
1979年、自分のグループの部下
クリス・ローゼンバーグ
がコロンビア人の麻薬運び屋を殺して金を奪うという強盗事件を起こした。
カステラーノは、組織内で御法度となっている麻薬の販売で、ロイもコロンビア人に対する強盗殺人に関わっていたのではないかと疑っていた。
コロンビア人を襲ったローゼンバーグは、幹部の
アンソニー・ガッジ
の指示を受けたロイらによって射殺され始末さられた。 その後、コロンビアシンジケートからロイは自分自身や家族が狙われていると思い込み、近所をたまたま通った大学生を殺し屋と間違えて射殺してしまった。
ロイが罪のない一般人を殺してしまい、世間の注目を集めたということでカステラーノは激怒し、コミッションも問題視したという。
そのため組織から追われて家族を逃がした後バハマへ行き逃亡生活をした。
その後危険がないと思い再びニューヨークに戻った。
1983年の初頭にブルックリンで射殺され、8日後に愛車のキャデラックのトランクの中からシャンデリアを上からかけられ、寒さのために凍った状態で発見された。
当時FBIが組織犯罪取締りに力を入れていたためか、彼の葬儀には仲間や部下は1人しか来なかった。
殺し屋集団"デメイオ・クルー"(DeMeo crew)の部下
ジョゼフ・テスタ
らに殺されたといわれている。
ロイは当時一家内で禁止していた麻薬取引にも関わっており、自身もコカインの常習者だったことが暗殺の理由とも言われている。
翌1984年に5大ファミリー壊滅作戦の一環としてカステラーノ以下ガンビーノ一家の幹部・構成員が多数逮捕・起訴され、"デメイオ・クルー"の一人ドミニク・モンティーリョ(Dominick Montiglio)が情報提供者となったためクルーの実態が判明した。
クルーの監督役アンソニー・ガッジ(Anthony Gaggi)らクルーの構成員は有罪判決を受けた。
なお、カステラーノは裁判中の1985年に殺害された。