ジョセフ・"ジョー・カーゴ"・ヴァラキ
Joseph "Joe Cargo" Valachi
(1904年9月22日 - 1971年4月3日)
NYマフィアでジェノヴェーゼ一家の構成員
マフィア組織内の地位は低いが、オメルタを破った人物として有名。
ナポリから来た移民の子としてNY市マンハッタンのイースト・ハーレム(East Harlem)で生まれ育った。
ナポリから来た移民の子としてNY市マンハッタンのイースト・ハーレム(East Harlem)で生まれ育った。
若い頃は泥棒稼業をしていたという。
その後、27歳の時に
の配下としてコーサ・ノストラに正式加入している。
マランツァーノの死後はラッキー・ルチアーノの一家に鞍替えして入り、一家の大幹部のヴィト・ジェノヴェーゼの配下となり、カポレジーム(Caporegime)の
アンソニー・"トニー・ベンダー"・ストロッロ
(Anthony Strollo, aka "Tony Bender")
の組員として麻薬ビジネスに関わるようになった。
ヴァラキ自身の結婚式ではジェノヴェーゼに仲人役を務めてもらった。
ヴァラキは1959年に麻薬取引の罪で起訴され、ジェノヴェーゼらと共にアトランタ刑務所に収監された。
その後、ジェノヴェーゼの獄中の指示により、ヴァラキのかつての上司だったストロッロは1962年4月8日に殺害された。
裏切りの濡れ衣で疑われ、ジェノヴェーゼによるコントラクト(殺人指令)によってヴァラキは追われる身となった。
1962年6月22日にはジェノヴェーゼが送った刺客と間違えて
ジョン・ジョゼフ・サウップ
という組織とは関係ない男を殺してしまった。
追いつめられたヴァラキは、1963年10月、FBIとの司法取引により、コーサ・ノストラ内部の情報をリークするかわりに、FBIの
証人保護プログラム
による保護を求めた。
なお、このマクレラン委員会での証言が後に有名になった『ヴァラキの証言』である。
マフィアの正式構成員(マフィオーソ)の証言は初めてとなり、それまで沈黙の掟(オメルタ:Omertà)により不明な点が多かったコーサ・ノストラの名前そのものおよび歴史、全容が明らかになった。
マフィアの正式構成員(マフィオーソ)の証言は初めてとなり、それまで沈黙の掟(オメルタ:Omertà)により不明な点が多かったコーサ・ノストラの名前そのものおよび歴史、全容が明らかになった。
ただ、地位の低いヴァラキがマフィアについて知っていたことは、ニューヨーク地区と組織の末端という限られた。
マフィア上層部はヴァラキを暗殺するために刑務所の刑務官を買収して飲み物に毒を入れたり、殺し屋を刑務所に送り込んだりもしたという。