レオポルド・ライオネル・ド・ロスチャイルド
Leopold Lionel de Rothschild
(1845年11月22日 - 1917年5月29日
英国の銀行家で馬主、慈善家 愛称はレオ。
英国ロスチャイルド家の庶流の一人で、彼から多くの庶流が生まれる。
1845年にロンドン・ロスチャイルド家第2代当主
ライオネル・ド・ロスチャイルド
の三男としてロンドンで生まれた。
母親はナポリ家の祖
カール・マイアー・フォン・ロートシルト
の娘シャルロッテである。
長兄にナサニエル、次兄にアルフレッド・チャールズがいる。
ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1850年代に皇太子バーティと親密な関係になる。
1870年にマスター・オブ・アーツの学位を取得した。
1879年に父ライオネルが死去すると、兄二人とともに
の共同経営者となった。
レオは三兄弟の中で、社員から一番人望があったという。
シティ・オブ・ロンドン総督やバッキンガムシャーの治安判事、副総督なども務めた。
アスコットに隣接するサウスコートにある種馬飼育場を叔父
メイヤー
から相続していたレオは、競馬に熱心だった。
1879年と1909年の二度のダービーで彼の持ち馬が優勝している。
また、1896年のダービーは彼の持ち馬
「セント・フラスキン(St Frusquin)」
が最有力だったが、皇太子バーティの無名の持ち馬「パーシモン」が優勝した。
皇太子が女性問題で人気を落としていた時期に当たり、世間の喝采を得られるような功績を必要としていた。
このレースにパーシモンが勝利したのは友人の苦しい立場に同情したレオの配慮によるものではないかとも言われている。
1902年にロイヤル・ヴィクトリア勲章コマンダー章(CVO)を受章した。
1912年3月にはセント・スウィッシン・レーンで、以前レオが世話をした精神異常者の暴漢
ウィリアム・テビット
からピストルによる狙撃を受けたが、未遂で済んだ。
1915年には長兄ナサニエル、1918年には次兄アルフレッドが死去した。
いずれも第一次世界大戦中のことで、大戦中は戦費調達のために税制が変更され過重負荷され、相続税が莫大になっている時期だったため、ロスチャイルド家三兄弟が相次いで死去したことが英国ロスチャイルド家の衰退につながったといわれる。
三兄弟の死後、N・M・ロスチャイルド&サンズの銀行業は長兄ナサニエルの次男チャールズが継いだ。
ただ、チャールズは病弱だったため、まもなく退任し、レオポルドの息子であるライオネルとアンソニーの兄弟が経営を主導するようになった。
レオポルドについて
「貴方のような人は地球上にほとんどいない。
お金を持った天使だもの」
という詩をセシル・ローズが残した。
家族構成
第1子(長男)ライオネル・ネイサン
(1882年-1942年)
英国ロスチャイルド家の銀行業を継承した。
第2子(次男)エヴェリン・アシル
(1886年-1917年)
第一次世界大戦で戦死。
第3子(三男)アンソニー・グスタフ
(1887年-1961年)
英国ロスチャイルド家の銀行業を継承した。
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