エイブラハム・リンカーン
Abraham Lincoln
(1809年2月12日 - 1865年4月15日)
アメリカ合衆国の政治家、弁護士、イリノイ州議員、上院議員を経て、1861年3月4日に第16代アメリカ合衆国大統領に就任、歴史上初の共和党所属の大統領でもある。
愛称はエイブ (Abe) 、偉大な解放者 (the Great Emancipator)とも呼ばれる。
「奴隷解放の父」として知られ、有名な
ゲティスバーグ演説
や南北戦争による国家分裂の危機を乗り越えたことなどが評価されている。
奴隷制の拡張に反対するリンカーンの大統領当選は南部諸州の反発を招き、合衆国を二分する南北戦争に結びついた。
南部連合総司令官の
ロバート・E・リー将軍
が降伏した6日後の1865年4月15日、ワシントンD.C.のフォード劇場で観劇中に
ジョン・ウィルクス・ブース
の凶弾に倒れ、アメリカ史上最初の暗殺された大統領となった。
ただ、インディアンに対しては強い迫害の姿勢を見せ、民族浄化とも言われるロング・ウォーク・オブ・ナバホや、ダコタ戦争を始めとする多くのインディアン戦争を実施した。
また、白人と黒人が平等であるとは思っていなかった。
ケンタッキー州ラルー郡(当時はハーディン郡)の
シンキング・スプリング農場
に建てられた間仕切りされていない丸太小屋で
トーマス・リンカーン
ナンシー・ハンクス
夫妻の息子として生まれた。
インディアンに殺害された父方の祖父エイブラハム・リンカーンにちなんで命名された。
祖父のエイブラハムは家族とともにバージニア州からケンタッキー州ジェファーソン郡に移り住み、1786年そこでインディアンに襲撃され、リンカーンの父トーマスを含む子供達が見ている前で殺されたという。
トーマスはシンキング・スプリング農場を含め幾つかの農場を売り買いし生計を立てていた。
一家は、イギリスの分離派思想から発生したキリスト教プロテスタントの一教派で個人の良心の自由を大切にして、厳格な道徳規範を持ち、飲酒やダンス、奴隷制度に反対する
セパレイト・バプテスト教会
に通った。
トーマスはケンタッキーで、陪審員になり、土地を評価し、郡の奴隷警邏隊員を務め、刑務所の看守にもなり、600エーカー (2.4 km2) の農場2か所と町の数区画、家畜や馬を所有していた。
郡内ではもっとも裕福な者の部類に入っていたが1816年、土地の権利証が偽物だったため、トーマスは訴訟で土地の全てを失った。
一家はリンカーンが7歳の時(1816年)に
貧困と奴隷制度
のために、自由州であるインディアナ州スペンサー郡へ転居し、新たなスタートを切った。
リンカーンの受けた正式な教育は幾人かの巡回教師からの1年分に相当するほどの基礎教育だけであった。
それ以外はほとんど独学であり、読書も熱心だったという。
独学で弁護士資格を取り、政治家に転身していった。
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