ステファノ・ボンターデ
Stefano Bontade
(1939年4月23日 - 1981年4月23日)
シチリア島のマフィア
パレルモ郊外のサンタ・マリア・デル・ジェズを縄張りとしていた
ボンターデ家
は祖父の代からマフィアとして地域を支配していたという。
煙草の密売に深く関わっていたものの、組織の箍を緩めかねない
麻薬取引
に対しては組員の不用意な秘密の暴露等を懸念したため、厳禁するなど否定的であった。
また、ポルシェのカレラを愛車としていた。
42歳の誕生日を友人たちと祝ったのち、車で自宅へ戻る帰り道、信号待ちをしていたところを、敵対していた
のヒットマン
にAK-47で射殺された。
ボンターデの殺害後、いわゆる「第二次マフィア戦争」が勃発した。
敵対する組織の双方で数百人のマフィオーシが殺害される事態に発展した。
敵からの攻撃を回避するため、身辺等の保護を条件としてボンターデの知人たちは捜査当局の情報提供者へと転じた。
ボンターデは3回の首相経験がある政治家
ジュリオ・アンドレオッティ
に対してシチリア島を支配しているのはマフィアであり、キリスト教民主党を南イタリアから一掃されたくなければ我々の言うことを聞け、と脅したことがある。
パレルモ市長のサルヴァトーレ・リマとは親しく何度も会っていたが、ボンターデが暗殺されるとリーマはサルヴァトーレ・リイナらコルレオーネ一家側に転向した。
シルヴィオ・ベルルスコーニは1970年代に
ヴィットリオ・マンガーノ