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2014年06月07日

サルヴァトーレ・ロ・ピッコロ(Salvatore Lo Piccolo)男爵(il Barone)というあだ名を持つシチリアマフィア

サルヴァトーレ・ロ・ピッコロ(Salvatore Lo Piccolo)
   1942年7月20日生まれ
 シチリア島パレルモのパルタンナ・モンデッロ近隣で生まれた。
 男爵(il Barone)というあだ名を持つシチリアマフィアの構成員
 1970年代にカルディッロ=トンマーゾ・ナタレに本拠を置くファミリーのボスとなった。
 サン・ロレンツォの地区頭領(Mandamento)だった
が1990年代初頭に投獄されてからは、ビオンディーノの地区頭領の座を引き継いだ。
 ロ・ピッコロは1983年以来当局の監視の目を逃れる為、地下に潜伏し行方をくらませていた。
 捜査当局の追跡により2007年11月5日、パレルモ近郊にある家屋で息子と他2人と共に逮捕された。
 最初はパレルモのボス
の下で運転手を務めていた。
 第二次マフィア戦争の時、リッコボーノが暗殺された。 その後、敵対していた陣営に鞍替えし、マフィアの一党派である
   コルレオーネシ(Corleonesi)
と同盟を結びパレルモからその周辺のエリアまで影響力を拡大していった。
 ロ・ピッコロはカパーチ、イソラ=デッレ=フェミーネ、カリーニ、ヴィラグラツィア=デ=カリーニ、スフェッラカヴァロ、パルタンナ=モンデロなどパレルモ市内の各地区を支配下に組み込んだ。
 イタリア内務省外局の対マフィア調査局DIA(Direzione Investigativa Antimafia)によれば、ロピッコロと息子の
   サンドロ・ロ・ピッコロ
はパレルモ市の大部分を支配していたという。
 そして、パレルモからメッシーナに至る各コムーネ(イタリアの自治体の最小単位)に影響力が及び、それら各地で行った麻薬密売でロ・ピッコロは莫大な富を得ていた。
 また、パレルモの低所得者向けの公共団地での土木工事において住人から強制的に金を強請り取っていた。
 また、米国の犯罪組織とも深いパイプを持っていると見られている。
 2005年3月、ロ・ピッコロらは
    "Notte di San Lorenzo"
と言われるイタリア警察の捜査作戦の対象となった。
 84件の事件に対する容疑者として逮捕状が出された。
 ロ・ピッコロとその息子の逮捕は実を結ばなかった。
 2006年4月11日、ベルナルド・プロベンツァーノが逮捕されたあと
   ロ・ピッコロ
   マテオ・メッシーナ・デナロ
はマフィア内での主導権を握ろうと画策していた。
 プロベンツァーノが隠れ屋にしていた場所から見つかったメモで、「プロベンツァーノの代理は
からのコルレオネーシ(Corleonesi)の一員であるパグリエレッリの地区頭領
   アントニオ・ロトロ
   ロ・ピッコロ
である。」と書かれていた。
 パレルモのDDA(Direzione distrettuale antimafia)の反マフィア検察官である
   アントニオ・イングロイア
は、プロベンツァーノの後継者争いが発生する可能性はあり得ないと見ていた。
 プロベンツァーノが逮捕されてから2ヵ月後の2006年6月20日、当局は「ゴータ作戦」を計画し、パレルモにいるマフィアの有力なメンバーらに対し52件の逮捕状を出した。
  アントニオ・ロトロと片腕でありサルヴァトーレ・リイナプロベンツァーノの個人的医者でもあるアントニオ・チーナ、ヘロイン精製所の幹部である建築業者のフランネスコ・ボヌラと同じく建築業者のジェランド・アルベルティらが逮捕された。
 捜査の結果、ロトロらはマフィア内部に一種の連合体を結成していたことが判明した。
 4人の一族により13のファミリーが統括され、メンバー全員が投獄されている
   マフィア最高委員会(Mafia Commission)
に成り代わりパレルモを共同統治していた。
 また、ロ・ピッコロのマフィア内でのポジションが微妙なものであると判明した。
 ロ・ピッコロとロトロとの衝突はパレルモへ戻る事を許された
   インゼリッロ・ファミリー
がパレルモでの利権を要求した事により険悪化していた。
 インゼリッロ・ファミリーのボスである
の親族が、1980年代に起きた第二次マフィア戦争の折、コルレオーネシらにより殺害された。
 抗争後、インゼリッロのメンバーらはアメリカに逃亡していた。
 当時、ロトロはインゼリッロ・ファミリーと敵対していたマフィアの1人であった。
 ロ・ピッコロがインゼリッロ・ファミリーがパレルモに戻るのを許可すれば、ロトロは彼らの復讐を恐れて復帰することに強く反対することになる。
 ロトロらが逮捕された事により、マフィア同士の抗争は終結したと言われている。
 ロトロはプロベンツァーノが逮捕される以前に、ロ・ピッコロと息子サンドロに対し死刑宣告を出していた。
 2人を抹殺する為に、彼らの体を溶かすための大量の酸を用意していた。
 だが、ロトロ、リイナそしてボヌラらが逮捕されたことにより、ロ・ピッコロはパレルモでの支配権を手に入れた。
 2007年11月5日、ロ・ピッコロと息子のサンドロそして2人の幹部
   ガスパーレ・プリッジ
   アンドレア・アダモ
らはシチリア近郊テッラジーニとチーニジの間にあるジャルディネッロの別荘において会議を開いていた。
 この会議の途中に踏み込んできた警察に逮捕された。
 なお、警察が別荘に乗り込んだ際、彼らは武装していたものの、抵抗することもなく逮捕された。
 その後、彼らは4機のヘリコプターでパレルモ警察本部に護送された。
 警察当局はロ・ピッコロらとロトロらの間で本格的な抗争が起こるのを警戒していた。 
 プロベンツァーノの片腕でもあるロ・ピッコロが、プロベンツァーノの穏健路線を継承し、密かに組織の強化をしたことにより、組織内部での尊敬を集めたため優位を保つことができた。
 プロベンツァーノの方針によりロピッコロは、1992年に反マフィア活動を展開していた
サルバトーレ・リイナが暗殺を指示・実行させ事から始まった国との戦いに終止符を打った。
 逮捕後の家宅捜査の結果、ロ・ピッコロが制定したと思われる
   マフィアが守るべきとする掟
を箇条書きした文書が発見された。
 この掟は10項目からなり
 ・我々の仲間になりたいと言う者がいれば、必ず他のメンバー等の仲介人を置くこと。
 ・仲間の妻に目をつけてはいけない。
 ・警察とは通じてはならない。
 ・酒場やクラブには行かないこと。
 ・たとえ妻が出産している時であろうと、いつでもマフィアのために働けるよう準備をしておくこと。
 ・約束は必ず守ること。
 ・妻には敬意を持って接すること。
 ・仲間から質問を問われれば、必ず真実を語ること。
 ・仲間や他のファミリーの金に手をつけてはいけない。
 ・警察の関係者及びその親戚、ファミリーに背信的な感情を抱く者、極端に素行が悪い者、モラルに欠けるものは仲間になれないとタイプライターで書かれていた。
   

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posted by まねきねこ at 08:41| 愛知 ☀| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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