ビル・クリントン(William Jefferson "Bill" Clinton)
1946年8月19日生まれ
アーカンソー州ホープに生まれ、愛称はババ(Bubba、南部英語で「兄弟」)
第42代アメリカ合衆国大統領
父親のウィリアム・ジェファーソン・ブライス・ジュニアはビルが生まれる約3ヵ月前に自動車事故で死去した。
ウィリアム・ジェファーソン・ブライス3世と呼ばれた。
ビルが生まれた後、母の
ヴァージニア・キャシディ・ブライス
は、看護師の勉強のためニューオーリンズへと移住したためビルは4歳になるまでホープにある母方の祖父母のもとで育った。
1950年ニューオーリンズから戻った母が、自動車販売店を営む
ロジャー・クリントン
と再婚し、義父、母と3人で暮らし始めた。
1953年に同州ホットスプリングスへ移り住んだが義父は強度のアルコール中毒であり見境なく自宅内暴力を振るったという。
ビルが小学生の頃、酒に酔った義父が発砲した弾丸がビルの耳元をかすめる事件がおきるなど不遇の少年時代を過した。
1956年には異父弟のロジャー・キャシディ・クリントンが誕生した。
その後ビルは自ら姓をブライスからクリントンへ正式に改めている。
高校在学中の1963年の夏
ボーイズ・ステイト
で選出されたアーカンソー州上院議員としてボーイズ・ネイションに参加した。
ホワイトハウスに招かれケネディ大統領と握手する機会を得たという。
1964年ジョージタウン大学外交学部に入学、在学中アーカンソー州選出の
フルブライト上院議員
のもと外交委員会で働いた。
1968年同大学を卒業、22歳の時にホワイトハウス実習生になった。
フルブライト議員の選挙運動に参加した後
ローズ奨学生
としてオックスフォード大学へ2年間留学したため徴兵を免れた。
なお、英国ではしばしばベトナム反戦運動に参加していた。
帰国後イェール・ロー・スクールに入学、在学中にヒラリー・ローダムと出会った。
1972年の大統領選ではジョージ・マクガバン民主党候補の選挙運動に参加した。
1973年法務博士号(ジュリス・ドクター、J.D.)を取得し卒業した。
その後、アーカンソー大学フェイエットビル校ロースクールで教鞭を取った。
1974年の中間選挙でアーカンソー州選出の下院議員に出馬するが落選した。
1975年ヒラリー・ローダムと結婚した。
1977年のアーカンソー州司法長官に選出され、同年の大統領選では民主党候補の
ジミー・カーター
の選挙運動に参加している。
1978年に32歳でアーカンソー州知事に初当選し、教育水準の向上や道路の整備などに取り組んだ。
1980年の春、カーター大統領が他州に収容されていた
キューバ人難民
をアーカンソー州に移すのをクリントン知事が容認したため、一部から批判を受け、道路整備の財源確保のための自動車登録料の値上げたことなどが原因で、再選をかけた同年の知事選に敗れた。
次の1982年の知事選では当選してカムバックを果たしている。
以後1984年、86年、90年と連続当選を果たした。
アーカンソー州知事時代には南部成長政策理事会理事長、全米知事協会副会長、全米知事協会会長、全州教育委員会委員長を歴任した。
大統領選挙戦では、前大統領のネガティブ・キャンペーンに敗れた
マイケル・デュカキス
の選挙スタッフを重用し、守りを固めて臨み1992年の大統領選挙で当選、翌1993年アメリカ合衆国大統領に就任した。
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