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2014年04月02日

ルドルフ・ジュリアーニ NY市長時代に凶悪犯罪撲滅に大きな成果を挙げた

ルドルフ・ウィリアム・ルイス・ジュリアーニ3世
     Rudolph William Louis "Rudy" Giuliani III
              (1944年5月28日 - )
 
 アメリカ合衆国の政治家 
 NY市元市長(在任期間は1994年1月1日から2001年12月31日)
 
 NY市長時代には凶悪犯罪撲滅に大きな成果を挙げたと言われている。
 
 アメリカ同時多発テロ事件時には
   ジョージ・W・ブッシュ大統領
と共にテロリズムと戦う事を宣言し、「世界の市長」と称賛された。
 通称ルーディ。

 
 NY市ブルックリンでイタリア系移民の2世として生まれカトリック教徒。
 
 ジュリアーニ一族の中には、警察官や消防士がいたが、犯罪者もいたという。
 
 
 父親は暴力沙汰を起こし、警護が厳しいことで有名なシンシン刑務所で服役していた。
 釈放後は、ブルックリンでマフィアの義弟が経営するレストランや賭博場、違法金融業の用心棒になった。

 
 マンハッタン・カレッジを卒業後、1968年にニューヨーク大学のロー・スクールを修了しニューヨーク州南部地区連邦地裁で書記(law clerk)を務めた。

 
 1970年に連邦検察官に任官し司法副次官、司法次官の首席補佐官等を歴任した。
 
 当時、民主党員として活動し、1972年の大統領選挙では民主党の反戦候補マックガバン上院議員を支持した。
 
 
 1975年共和党のフォード政権はジュリアーニを司法次官補に抜擢した。
 それ以来、共和党の法曹実務者としての道を歩き出したという。
 
 
 1976年の大統領選挙の選挙でフォード大統領が敗退した際は、ジュリアーニも司法省を退官している。
 弁護士生活に戻ったものの、1981年の共和党レーガン政権の発足で、司法省のナンバー3にあたる司法副長官(司法次官)に就任した。
 
 
 1983年には、NY南部管轄の連邦検事として
   マフィアの掃討作戦
の陣頭指揮を取り組織犯罪・薬物事件・経済事件などの対応・対策に取り組んだ。

 
 検事時代には、仕手筋の
   アイヴァン・ボウスキー
と「ジャンクボンドの王」と称された投資銀行家
   マイケル・ミルケン
という2人の金融街(ウォール・ストリート)の大物をインサイダー取引で告発した。
 
 他にマーク・リッチなど大物投資家をインサイダー取引で起訴している。
 
 
 また、暗黒街にもメスを入れ、レーガン政権が展開した撲滅作戦においてジュリアーニが検事として陣頭に立った。
 当時「ニューヨークのファイブ・ファミリー」と言われたマフィアの一掃作戦を開始し、ガンビーノ一家のボス
   ポール・カステラーノ
などファミリーのボスたちを次々起訴、有罪に持ち込んだ。

 
 こうした派手な事件の動きがメディアで報道されたことから知名度が上がり、1989年、共和党から、ニューヨーク市長選挙に立候補した。
 しかし、この時には、民主党候補のデイヴィッド・ディンキンズに僅差で敗れた。

 1993年、再び市長選に立候補し、前回敗れた現職のディンキンズを破り当選している。

 
 NYを安全に歩ける街にするため、治安の回復を目標に掲げ、NY市警のトップに
   ウィリアム・ブラットン
を据え、犯罪心理学者であるジェームズ・Q・ウィルソンとジョージ・ケリングが発案した
   「割れ窓理論」
を用いて犯罪率の減少に取り組んだ。
 
 RICO法を最大限に活用して、マフィアのトップを重点的に取り締まった。
 
 
 まず、イタリアン・マフィアをターゲットにしてトップ達を逮捕した。
 
 そのあと、その代わりに台頭してきた中国、ベトナム、カンボジア、イラン等のマフィアを各国別に対策を練り、頂上作戦を展開して大きな成果を上げた。
 
 
 警官の数を大幅に増やし、マフィアの温床となるSEXビジネスの撲滅作戦に乗り出すなど様々な手を打ち、ニューヨークの安全化に務めた。
 
 マフィアと癒着した汚職警官を次々と告発、追放するなど、一時はマフィアより汚いと言われていた警官の規律を正した。
 
 NY市の各辻には警官が立つようになった。
 さらにハーレムの名物、出店も一掃したうえ、風紀を正すため、ところどころで火を噴いていたタクシーは新型車両に交換させるなどした。
  
 こうした秩序を意識させる活動を強化することにより犯罪率を半減させ、全国水準より低く抑えることに成功した。
 
 これにより、ニューヨーク市は全米でも最も安全な大都市となったといわれ、ニューヨーク市を浄化した市長として名声を博した。


 ただ、検挙率の向上が市警においては重要な課題となった結果、特にマイノリティー層を中心として市民的権利が警察により時に侵害されたとの批判が生まれた。
 
 
 例としてあげられるのは白人警察官達が武器を携帯していなかったアフリカ系移民の
   アマドゥ・ディアロ
を指名手配犯と誤認し、41発もの弾丸を撃ち込み射殺した事件が起こった。
 
 この事件では市警の暴力や人種差別に対し聖職者や芸能界などの著名人も参加する大規模な抗議デモに発展した。
 
 
 NY市の治安回復と共に中心部の再開発に力を入れ
   タイムズスクエア
は、長い間、危険な場所と認識されていたが、犯罪が減少するにつれその利便性が見直された。
 
 同地の再開発は積極的に推進され、観光客・家族などを中心とする一般消費者が深夜まで安全に訪れることのできるエリアとなった。
 
 また、ディズニー、MTVスタジオ、ABCスタジオなどが同地に移転し、この試みは一応の成功を収めている。
 
 
 安全化→観光客増→税金収入アップと言うサイクルを繰り返すことでアメリカ経済にも好影響を与えた。
 ちなみに97年にニューヨークを訪れた人々が使ったお金は137億ドルに上り、ここから7億1000万ドルの税金収入がニューヨークに入ったと言う。
 

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件でニューヨーク市のワールド・トレード・センターが2機のハイジャックされた旅客機の突入を受けると、さらなるテロの防止に奔走し、高い危機管理能力を発揮した。
 
 
 ジュリアーニ自身は共和党内きっての親イスラエル派である。
 中東和平の実現のためにはイスラエルの生存権が最大限保障されなければならないとの立場をとっている。
 
 アフガン戦争収束後の2001年12月にはニューヨーク州知事のジョージ・パタキ、後継のニューヨーク市長に選出されていたマイケル・ブルームバーグと共に、イスラエルを訪問した。
 
 アリエル・シャロン首相と会談し、テロとの戦いにおける米国とイスラエルの共闘を呼びかけた。
   
 
 
 
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posted by まねきねこ at 15:25| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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