(1882年9月20日 - 1972年12月26日)
和文タイプライターの発明者
岡山県生まれ
1985年、特許制度制定百周年を記念して人選された
「日本の発明家十傑」
に選ばれた。1953年藍綬褒章、1965年勲四等旭日小綬章を受勲した。
1899年 17歳で大阪に移り
電信技術研究所
に勤務、その後、大阪市電信技術者養成所を修了した。
1912年 30歳で
大阪活版印刷研究所
の技術主任となり、設計製図、木型組み、活版事業の指導にあたった。
その後大阪活版印刷研究所が改称し
活版術改良協会
として東京に移転した際、杉本も上京している。
1914年 独立し、邦文タイプライターの開発に専念、翌15年 邦文タイプライターを発明した。
特許第27877号タイプライターを取得した。
杉本は文字の使用頻度を考慮し2,400字を選び出し独自の配列で文字庫に並べた活字を、前後左右に稼働するバーで選択しつまみ上げ、円筒に巻かれた紙に向かって打字すると言う機構を開発した。
1917年に大谷仁兵衛、杉本甚之助とともに
日本タイプライター株式会社
(現キヤノンセミコンダクターエクィップメント株式会社)
を創業した。
また、華文(中国語文)タイプライターも製造し上海で販売を開始した。
1920年には邦文モノタイプ(活字鋳造機)を発明、製造開始した。
1936年に国産の小型トーキー映写機を開発した。
日本語では文章を構成する文字数が多いため、文字数の少ない
欧文タイプライター
の機能はそのまま使えないと言う制約がネックとなり、当時タイプライターの開発は困難であった。
この方式の和文タイプライターで1920年代には政府公文書の多くが作成されるようになった。
1980年代に日本語ワードプロセッサーが普及するまで官公庁や企業・教育機関などで使用され、日本における書類作成事務効率化に大きな役割を果たした。
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