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2014年02月23日

五島 慶太 苦学生としての時代 その@

 
五島 慶太

  
 1882年(明治15年)4月18日
     - 1959年(昭和34年)8月14日
 
 
 東京急行電鉄(東急電鉄)の事実上の創業者 
 
 
 長野県小県郡青木村に農業を営む
   小林菊右衛門
   小林寿ゑ
夫妻の二男として生まれた。
 

 父は製糸業などに手を出したものの景気の荒波を受けて失敗しため、家計は酷く苦しかったという。
 
 
 苦学して小学校の代用教員になったのち、1903年(明治36年)学費のいらない
   東京高等師範学校(現 筑波大学)
に合格して英文科へ進学した。
  
 
 卒業後は、三重県の四日市市立商業学校(現 四日市商業高校)で英語教師となった。
 
 その後、1907年(明治40年)9月に東京帝国大学政治学科の専科に転入学した。
 10月には、法学部本科に転学している。
  
 
 しかし、再び学資に窮したため東京高師の校長で在学中に世話になった
   嘉納治五郎
の紹介により、帝国大学法科大学(現 東京大学法学部)教授
   富井政章男爵
の息子や貴族院勅選議員
   加藤高明
の息子の家庭教師として各邸宅に居候している。




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posted by まねきねこ at 10:55| 愛知 ☀| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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