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2014年02月13日

ヴィンセント・「マッドドッグ」・コール(Vincent "Mad Dog" Coll ) NYギャング史上最も邪悪な殺し屋

ヴィンセント・「マッドドッグ」・コール(Vincent "Mad Dog" Coll )
   1909年−1932年2月8日
 NYマンハッタン地区の労働者の街
   ヘルス・キッチン(Hell's Kitchen、地獄の台所)
でアイルランド系米国人の家で生まれ育った。
 犯罪者として21歳頃までには警察に逮捕された経歴を持ち、NYの犯罪組織史上で最も邪悪な殺し屋となった。
 ニューヨークのアイルランド系ギャング。あだ名はマッドドッグ(狂犬)だった。

 禁酒法時代、ライバルギャングとマシンガンを使った派手な抗争に明け暮れた。
 アイルランドのドニゴール県グウィドー生まれ。
 生まれた翌年に一家で渡米しニューヨークのブロンクスに住んだ。

 1913年母が死亡し、1919年母親代わりの姉も死亡し、父親が失踪した為、近所の知人に引き取られた。
 ブロンクスのストリートで極貧の少年時代を過ごし、12歳の頃、カトリック系の保護収容施設を何度も追い出された。
 同じ頃アイルランド系の
   ギャング団ゴッファーズ
に参加した。

 1927年頃、ヴィンセントと兄弟のピーターはドイツ系ユダヤ人で犯罪組織の首領
の一味に加わった。
 週給150ドルの用心棒として雇われたが、その直線的で攻撃的なやり方のおかげですぐ頭角を現し、重要な戦闘員になった。
 金がなくなるとクラブやヤミ賭博場の用心棒を引き受けていた。
 しかし、無抵抗の
   スピークイージー
のバーテンダーを有無を言わせず殺したり、シュルツの許可なく商店を狼藉して荒らしたので、警察の注意を引くような派手な行為を慎むようシュルツに注意された。
 
 1930年頃、コールが対等なパートナーになりたいと言ってきたのでシュルツが拒否すると兄ピーターと仲間を集めて自前のギャングを組織し、シュルツの縄張りを荒らし始めた。
 シュルツの幹部
   ビンセント・バレリ
を誘ったが断られたためにこれを殺害した。
 これを皮切りに、シュルツのビール輸送トラックを奪い、シュルツ傘下のスピークイージーに放火して派手に暴れた。
 1931年5月、シュルツ一味に兄を殺された後、マシンガンを使った派手な襲撃スタイルをエスカレートさせた。
 兄の死から3週間のうちにシュルツの手下を4人殺した。
 その後の抗争も含め、敵味方合わせて計20人前後が殺された。

 1931年7月、街角に立っていたシュルツの仲間
   ジョーイ・ラオ
と用心棒2人を、通り過ぎる車からマシンガンで撃ちまくった。
 なお、ラオと用心棒は無傷だったが、近くにいた5歳の子供が巻き添えで死亡した他、4人が重軽傷を負った。
 この事件が新聞で報じられるとニューヨーク市民はショックで怒り、
   ベイビーキラー
と呼んで叩いたため、以後髪を染め、付け髭で変装した。
 ニューヨーク市長
   ジミー・ウォーカー
は Mad Dog(狂犬)と呼んだ。
 1931年10月、ブロンクスで逮捕され、子供殺しの罪で起訴された。
 裁判所に出頭したコールはまたも髪の色を変え付け髭で変装していた。
 子供殺し裁判で職業を聞かれた際、「失職中の煉瓦工」と回答した。
 「その時、現場から数マイル離れたところにいて敵に狙われていた、子供を殺したのは俺じゃない、子供を殺した奴の喉をかき切ってやりたいくらいだ」とまくしたてた。
 検察が用意した目撃者の証言に問題があったため無罪となった。
 その後すぐニューヨークのファッションデザイナーと結婚した。

  金が尽きると、他のギャングでNYの高級ナイトクラブ
の経営者オウニー・マドゥンのファミリーや
の手下を誘拐し、身代金を詐取してシュルツとの戦闘資金に充てた。
 1932年2月1日、シュルツ一味がコールのアジトとみられたアパートに乱入し、マシンガンで撃ちまくった。
 コールの手下2人と無関係な女性の計3人が死亡した。
 ただ、コールは別の場所にいて無事だった。
 殺し屋はコールの顔を知らず、無差別に撃ったとされた。
 シュルツマドゥンがコール狩りに5万ドルの懸賞金をかけた時、シュルツはブロンクス警察まで行って、
   「誰でもいいからコールを殺した奴にはウェストチェスターの家をくれてやる!」
と叫んだ逸話がある。

 フリーランスの殺し屋2人がこれに応じて取引が成立し、1度目の襲撃は失敗したがマドゥンの協力を得た2度目の襲撃で成功した。
 2月8日、マンハッタンのドラッグストアの電話ボックスでマドゥンに脅しの電話をかけているところに、マドゥンの内通を受けたシュルツ一味3人が押しかけ、1人が車、1人が店の外で待ち、1人が店に入って店員に「落ち着け」と言うや否やオーバーコートの下からマシンガンを取出し、電話ボックスごと蜂の巣にした。
 大量の銃弾を浴びたコールは即死した。
 15発の銃弾が遺体から取り出されたが、貫通弾を含めると実際に受けた弾はもっと多かった。
 この現場から逃走車を運転していたのはシュルツの副ボスの
   ボー・ワインバーグ
だったとされている。
 また、殺し屋が店に入った時、コールの用心棒が店の外へ素直に立ち去った。
 このことから、シュルツに事前に通じていたとも伝えられた。
 シュルツ一味は車で逃げたが、たまたま銃声を聞いた警官に追いかけられ派手なカーチェイスを繰り広げた。
 彼の未亡人だけの参列となった葬儀にはシュルツから花束が届いた。
 
 1963年のジョゼフ・ヴァラキの証言によれば、1931年9月、コールは
から 「ラッキー」・ルチアーノ殺害を前払い金2万5千ドル、成功報酬2万5千ドルで請け負った。
 ただ、殺害を実行せず2万5千ドルを着服したという。
 コールはルチアーノを待ち伏せるためマランツァーノの事務所のあるビルにやって来たが、マランツァーノを殺したばかりのルチアーノの手下が逃げてくるのと階段ですれ違った。
 彼らからマランツァーノが死んだことを聞いたコールはすぐにビルを出て帰ったという。

 街中でマシンガンを撃ちまくる抗争スタイルはアメリカ市民に衝撃を与えた。
 1930年代を通じて白黒のギャング映画が量産された。
 コールをモデル又はモチーフにした映画が数多く製作されており、1961年、1992年にそれぞれ『Mad Dog Coll』のタイトルで製作された(1961年の映画は『機関銃を捨てろ』の邦題で日本でも公開された)他、シュルツやレッグス・ダイアモンドら同時代のギャングを扱った伝記映画にサブキャラクターとして数多く登場する。


 


   
の一味として、敵対勢力や内部の粛清を行うための殺し屋として加わった。
 しかし、すぐに犯罪組織が稼ぎ出す資金が賭博や売春などではなく禁酒法の影響から
   密造ビール
からのもので、その利益の巨大さを知り一味の乗っ取りを企み始めた。
 ヴィンセントは友達の
   メリー・スミス
を仲立ちとしてシュルツの犯罪組織の幹部
   ヴィンセント・バレリ
をこの陰謀に加わるように納得させようとした。
 バレリがこの企てへの参加を拒絶したため、シュルツに密告され暗殺されるのを阻止しようとヴィンセントは2人とも口封じに殺害した。
 シュルツはヴィンセントらの反乱の動きを阻止し、鎮圧するために
   ピーター・コール
を誘拐して見せしめとして処刑した。
 ヴィンセントは弟が惨殺されたため狂犬のごとくシュルツに宣戦布告し密造酒等の利権網を奪い取る活動を強めた。
 シュルツのビール運搬トラックを盗み、ナンバー賭博興行の縄張りを荒らしまわった。
 この抗争の間に20人以上のギャングが殺されたという。

 ヴィンセントのシュルツに対する戦闘の資金を供給するため、
 1931年9月、ルチアーノは、マランツァーノからの暗殺命令を知りシュルツの側近
   ボー・ワインバーグ
を含む4人の殺し屋を雇った。
 警察官の服装でマランツァーノの事務所に押し入り、彼を撃ち、喉を切り開いた。
 この襲撃は「シチリア晩鐘の夜」事件として知られている。
 ただ、殺し屋は警察官ではなく税務署員を装ったとも言われている。 

 こののち、ルチアーノは、権力を固めるために引き続きマランツァーノ一家に所属する40人以上の一味の者を殺害、32歳でニューヨークの暗黒街の頂点に立った。
 1931年7月にヴィンセントは幾人かのシュルツの組織を弱体化させるために一味の構成員に対し
   マシンガン攻撃
を試みた。
 しかし、襲撃はいずれも成果が出ず、5人の罪のない一般市民の若い子供たちが流れ弾の犠牲になった。
 1932年2月8日、ヴィンセントはアイルランド系ギャング
         (Owney "The Killer" Madden)
を脅すためにドラッグストアの電話ボックスから電話をかけていた。
 マッデンは、ヴィンセントを電話に引き止めてその場を動かないようにした。
 シュルツの3人の殺し屋がコールが足止めされたドラッグストアに乱入して電話ボックスごとヴィンセントをマシンガンで蜂の巣にした。


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posted by まねきねこ at 07:35| 愛知 ☀| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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