ベンジャミン・シーゲルは組織により派遣され西海岸に到着すると
映画産業
が華やかな時代のハリウッドで映画製作に伴い現場で唸っているお金に目を付けた。
手練手管を使って
エキストラの組合
に恐喝をして強引に入り込み、その支配権を手に入れた。
エキストラに圧力を加えて働かせないことで撮影を中止に追い込みながら恐喝を繰り返し、大物スターから1人1万ドルも脅し取った。
そうして懐に入った金は年に40万ドルにも達したという。
さらにマイヤー・ランスキーの手下だった友人の
モー・セドウェイ
と組んで西海岸の競馬通信社や私設馬券場も犯罪組織の勢力下においていった。
1938年、シーゲルと友人の
トニー・コルネロ
は当時カリフォルニアで違法だったギャンブルをサンタモニカ海岸3マイルの沖でレックス号という船の上で開設した。
この3マイル沖の海上なら法律の適用外になるという目論見だったがロサンゼルスの郡警察はすぐに手入れに乗り出し、レックスを開店即休業に追い込んだ。
そのため2人はさらに離れた12マイル沖で始めたが、今度は陸地から遠すぎで客が移動に時間が掛かりすぎるため、客がほとんど訪れなかった。
この件では2人は大損したという。
1930年代後半、イタリアの伯爵夫人で社交家の
ドロシー・テイラー・ディフラッソ
と愛人関係を持った。
このコネを利用して、ナチスやファシストの大物幹部の暗殺を本気で計画していたとう。
ただ、実行できなかったことを終生後悔していたという。
エグザミナー紙がシーゲルの過去について記事を書いた。
このとき、ドロシーはオーナーの
の豪邸に自ら出向き、記事を取り下げるように要求した。
しかし気骨のある記者により新聞はシーゲルの過去を書き続けたという。
1940年代初めには女優の
ヴァージニア・ヒル
と愛人関係を作った。
彼女との関係は死に至るまで続いたが、お互いに気分屋で喧嘩も絶えなかったという。
なお、友人には「ヴァージニアのベッドテクニックは最高」と言っていた。
カリフォルニアで勢力を確立したシーゲルは、1931年以来ギャンブルが合法化されていたネバダ州ラスベガスへの勢力拡大を狙った。
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