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2014年01月03日

ベンジャミン・シーゲル 賭博の街ラスベガスの繁栄の基礎を造ったギャングスター その@

ベンジャミン・シーゲル
     (Benjamin Siegel)
   1906年2月28日 - 1947年6月20日
 米国のギャングスターのひとりで賭博の街ラスベガスの成立にも関わった。
 性格は荒っぽく気分屋だったという。
 手入れを欠かさない美髪に映画スター並の甘いマスクで社交的で女好きだった。

 ジム通いで鍛え上げた180センチを超す長身で当時としては破格の200ドルもするスーツとハンドメイドでシルクのシャツで装ったうえ、指にもマニキュアを施すなどお洒落には手間とカネを惜しまなかったという。
 また、ナイトクラブやレストランではウェイターらに気前よくチップをはずんだ。
 ニックネームはバグジー (Bugsy)

 NYのブルックリンで、ウクライナのキエフから米国へ移民してきたユダヤ系の貧しい両親の間に生まれた。
なお、貧困家庭で育ったものの、家族や親類には裏社会と関わりのある人間は誰もおらず兄は医者の道に進んでいる。

 シーゲルは素行が悪く少年時代から
 ストリート・ギャング
として悪行を繰り返すようになった。
 マンハッタンのローアー・イースト・サイドのラ・ファイエット通りを中心として窃盗などの犯罪を働いた。
 また、露天商からは上納金を脅して取り立てていた。

 ヘルズ・キッチン地区のアパートのベランダから下を歩く
   警ら中の警察官
に水を入れた袋やレンガを投げつけるなどの悪さをしていたという。
 「ばい菌、害虫、狂人」という意味の蔑称であるバグジーという渾名はこうした思慮の足りない衝動的な行動から名付けられたと言われている。
 ただ、シーゲルはよほど親しい人間でない限り、自分がバグジーと呼ばれることは許さなかった。

                    (ベンジャミン・シーゲル @ABCDE
    
   
posted by まねきねこ at 00:00| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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