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2014年01月02日

ヴャチェスラーフ・キリーロヴィチ・イヴァニコーフ ロシアンマフィアのボス

 
ヴャチェスラーフ・キリーロヴィチ・イヴァニコーフ

   Вячесла́в Кири́ллович Иванько́в
    Vyacheslav Kirillovich Ivankov
              (1940年1月2日 - 2009年10月9日)
  
 
 
  ロシアン・マフィアのひとり。
  ロシアの国家情報機関
   KGB
との関係を利用して、犯罪集団をつくりソ連国内と米国の両方で勢力を拡大した。
 
   
 


 ニックネームは
   ヤポンチク
    (Япончик、「日本人ちゃん」意味)
で、モンゴル系タタール人の血を引いており、顔立ちがいささか日本人を思わせたということか渾名がら付いた。
 
 
 ソ連時代にグルジア共和国でロシア人の両親のもとに生まれ、モスクワで育った。

 青年期はアマチュア・レスラーとして活躍した。
 たまたま、バーでの喧嘩によって初めて服役した。
 
 刑期を終了し釈放後は、生きていくために刑務所仲間と犯罪活動に手を染めるようになった。
 
 経済が混乱したロシアの闇市で盗品等を売りさばいた。
 闇市での縄張りをめぐる関係から組織犯罪に加わるようになった。
 
 警察の書類を偽造したうえで、金持ち家屋に侵入する強盗を行っていた。

 
 1974年、ブトィルカ刑務所(Butyrka prison)に服役中には犯罪者仲間によって
   「ボール・フ・ザコーネ」
      (vor v zakone、規律ある泥棒)
の称号を与えられたともいう。
 
 
 小火器や偽物、麻薬の密売の容疑で1982年に逮捕され、懲役14年を宣告された。
 
 ゴルバチョフ政権下におけるペレストロイカ等が行われる中、恩赦で1991年には釈放されている。
 政治が混乱する中において、有力政治家やロシア連邦最高裁判所の裁判官への賄賂があったともいわれている。
 

 1992年3月、ロシアで最も凶暴で残虐な犯罪者と見なされ捜査当局の監視対象ともなっていたが
   映画産業
で働くという名目で、通常の就労ビザを入手して、渡米し移住が認められた。
  
 
 イタリア系の犯罪組織
   コーザ・ノストラ
等では強固な指揮命令系統が基準にあり最高指導者が命令を下して組員が実行するといった上意下達のシステムであった。
 しかし、ロシア式ではイヴァニコーフが自ら出向いて強奪を行った。

 
 イヴァニコフの渡米の理由ははじめは明らかではなかった。
 その後に、ロシア内務省はFBIに対して、イヴァニコフは米国で活動する
   ロシアン・マフィア
の組織をまとめ、支配するために渡米したと伝えた。
 
 
 ノヴォイェ・ルスコイェ・スロヴォ(Новое русское слово)紙の記者
   アレクサンドル・グラント
によれば1994年にロシアでは
   イヴァニコフの活動を毛嫌いする新しい犯罪組織
が活動を活発化しため、ロシアに拠点を置いたままでは暗殺される恐れがあった。
 
 また、米国では犯罪活動の実績がないことで米国捜査当局からのマークもないことが渡米の理由と話していたという。
 
  
 イヴァニコーフはNYブルックリン随一のロシア系犯罪組織を作り上げた。
 また、コニーアイランド近くのブライトン・ビーチ(Brighton Beach)を拠点として100人程度の構成員をかかえるようになった。
 
 
 ただ、米国の捜査当局には前科がなく、マークが緩かったため、系統的に暴力や買収を行ったり、裏社会を牛耳ったり、組織犯罪機構を作り上げようとした証拠は把握されていなかった。
 

 1995年6月、2人のロシア人実業家が運営する投資顧問業者からの依頼を受けて暗殺を実行したとしてFBIに逮捕され、1996年6月には2人の協力者と共に有罪判決を受けた。

 
 司法当局の取調べの中でイヴァニコーフは、FBIがロシア部門の重要性を主張するために、ロシアン・マフィアについての虚構を作り上げたとして非難し、ロシアは
   休みなき犯罪の温床
であり、その中核を担う犯罪者は
   クレムリン
   ロシア連邦保安庁
であると主張した。
 
 裁判ではイヴァニコーフは自分自身がロシアン・マフィアの指導者であるとする考え方をばかげている一蹴した。
 

 2004年7月13日、1992年にモスクワのレストランで2人のトルコ人が殺害され。
 その後、騒動に発展した件に関して、殺人の容疑をかけられ、ロシアへ強制送還された。
  
 
 2005年7月18日に開かれた裁判では警察官を含む証人たちは
   被告を見た覚えはない
と証言した。
 このため裁判官は容疑を認めず、同日に釈放された。

 
 ロシアのタブロイド紙
   ソヴェルシェンノ・セクレトノ
      (Совершенно Секретно)
の主力犯罪記者
   ラリサ・キスリンスカヤ
     (Лариса Кислинская)
は、イヴァニコフが有力者とみなされるのは刑務所内だけのこととし、自由の身では敬意を得ることはないだろうとの見方を示した。
 

 2009年7月28日、モスクワの時間で19時20分ごろ、イヴァニコーフはモスクワのホロシェフスコエ通り(Хорошевское)のレストランを去る際に銃撃を受けた。
 
 これによって2009年10月9日に死去し、10月13日にモスクワで葬儀が行われた。
 
 近くの駐車場から狙撃銃が捨てられているのが見つかったという。
 
 
  
 
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posted by まねきねこ at 05:08| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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