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2014年01月08日
ベンジャミン・シーゲル 夢破れた結末 そのE
ベンジャミン・シーゲルがラスベガスを
歓楽街とする夢
を持ちシンジケートのメンバーから資金を借り、心血を注ぎ込んだ
フラミンゴホテル
は1946年についに完成した。
しかし、当初の計画では建設費が100万ドルだったが、完成までに
600万ドルの費用
が掛かり、当初の予算より500万ドルもオーバーした。
同年12月26日に暫定オープンしたが、当初から知名度が低く交通の便も悪いことから客の入りは悪く赤字続きで、2週間で30万ドルの損失を出したため一旦休業した。
その後、未完成部分の建設を続けてグランドオープンをしようとした。
ランスキーとコステロは全国委員会でシーゲルの排除が決定されていた。
実行部隊の行動を一時停止して最後のチャンスを与え1947年3月に再オープンした。
以前の暫定オープン時に比べれば客足は伸びた。
それでも資金を提供した犯罪組織が予想した利益よりはるかに少なく借金の返済が危惧される状態にあった。
ただ、知名度が上がり利用者の拡大とともに少しずつ利益が上がり始めた。
借金の返済が滞り続けており、その頃にはシーゲルはすっかり仲間たちの信用を失い
目障りな存在
となっていた。
ただ、大物ぶりを演じていたシーゲルは組織への借金を返済することなく放置した。
派手な私生活で遊行費を惜しみなく使う姿が、メディアの話題ににも度々持ち上がっており、多くの人々にも目撃されていた。
こうしたシーゲルの独断専行的な性格が資金を出したたものの配当金を受け取れないボスたちの気に障った。
莫大な資金が建設費として組織が用立てたため、資金の多くがシーゲルが派手に使っていた遊行費として使われていると勘ぐった。
また、浪費癖があった愛人
ヴァージニア・ヒル
はシーゲルから多額の現金をかすめ取ってヨーロッパに逃亡した。
1947年6月20日夜、バグジーはカリフォルニア・ビバリーヒルズのヒルの邸宅で一人ソファに座り新聞を読んでいるところをヒットマンの
エディ・カニッツァーロ
にM1カービン銃で顔などを銃撃されて殺された。
なお、ルチアーノは後年、バグジーの死刑はハバナ会議(1946年12月開催)で決定していたと言っている。
暗殺の晩フラミンゴに
ガス・グリーンバウム
モー・セドウェイ
の2人が拳銃を持って乗り込んできて、今日から我々がここの新しいオーナーだと公言した。
その後、経営を好転させフラミンゴを世界的に有名なホテルに変えていった。
グリーンバウムは1958年に犯罪組織の金をくすねている事がばれ暗殺されている。
シーゲルの死については、フラミンゴ・ホテルの件が主因とされているが、競馬通信社の
コンチネンタル・ワイヤー・サービス
というシーゲルのライバル会社を経営していた犯罪組織のボス
ジェームス・レーゲン
がシカゴで何者かに暗殺されており、その復讐という噂もある。
シーゲルはニューヨークのチンピラ時代からの友人でハリウッド・スターに転身しギャング映画の主役として成功した
ジョージ・ラフト
と親交を持ち、自身も甘いマスクでであったことから西海岸に移った時カメラテストを受けるなど本気で俳優転身を考えたことがあると言う。
私生活は派手で昔ながらの粗暴で粗野なギャングであった。
(ベンジャミン・シーゲル @、A、B、C、D、E)
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