トーマス・ルッケーゼ(Thomas "Tommy" Lucchese)
1899年12月1日 - 1967年7月13日
米国におけるイタリア系犯罪組織コーサ・ノストラのニューヨークの5大ファミリーの一つ
ルッケーゼ一家
のボス。
本 名 ガエターノ・ルッケーゼ(Gaetano Lucchese)
NYの空港の従業員の組合等を支配下に置いていた。
ニックネームの
トミー・"スリー・フィンガー"・ブラウン
(Tommy "Three Finger" Brown)
は1915年に事故により右手の親指と人差し指を失い、三本指となったことからきている。
ただ、ルッケーゼのいるところでこのあだ名をいう勇気のある者は誰もいなかった。
シチリア島のパレルモの出身で、1900年代初頭にアメリカに移住している。
カステランマレーゼ戦争の頃は
ガエタノ・レイナ
の部下であったが1930年にレイナがボスの
の指示で暗殺者に殺害されたため、仲間の
ガエタノ・ガリアーノ
らと共にマッセリアと対立していた
の勢力に加わった。
マッセリアの死後、ルッケーゼは再編された5大ファミリーの一つ
ガリアーノ一家
の副ボスとなった。
その後のラッキー・ルチアーノによるマランツァーノ殺害については主要な役割を担ったという。
1951年のガリアーノの死後、ルッケーゼがボスの座を引き継いだ。
当時、ニューヨーク・マフィアではルチアーノが国外追放されておりルチアーノ一家の実質ボスとして仕切っていた
が最大の実力者であった。
ルッケーゼは一家の内でボスの座を狙う
と組んでコステロの追い落としに成功した。
更にコステロの同盟者であるアナスタシア一家のボス
を暗殺し、後釜に姻戚関係にある
を据えることに成功した。
その後、ジェノヴェーゼは麻薬取引の罪で収監され、残る二つのファミリーについても、プロファチ一家のボスには傀儡として
ジョゼフ・コロンボ
を据えた。
ボナンノ一家のボスの
ジョゼフ・ボナンノ
を実質引退に追い込み、ガンビーノと並んでその力は絶対的なものとなった。
また、レイナの死後はニュージャージー州北部を仕切る
The Jersey Crew
のボスも兼任した。
ルッケーゼは政界へのコネクションではフランク・コステロに匹敵した。
また、ボスとしては部下に対して公正であり、人望のあるボスでもあったという。
生涯一度も逮捕されないまま1967年に手術不能の脳腫瘍で死亡した。
彼の葬儀には警察関係者、裁判官、政治家ほか、彼の配下など1000人以上が参列した。
ルッケーゼは死に当たって
アンソニー・コラーロ
を後継者に指名していた。
しかし、当時獄中にいたためにコミッションにより代理としてカポレジームの
カーマイン・トラムンティ
が暫定的なボスに任命された。
なお、コラーロは1974年の出所に伴い正式にボスとなっている。
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