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2010年12月20日

ミハイル・ボリソヴィチ・ホドルコフスキー ユコスの元最高経営責任者

ミハイル・ボリソヴィチ・ホドルコフスキー
        (Михаил Борисович Ходорковский)
   1963年6月26日生まれ
 ロシアの実業家 ユダヤ系ロシア人としてモスクワに生まれた。
 石油会社ユコス社の元社長
 新興財閥(オリガルヒ)のひとり
  
 モスクワ化学技術大学卒業し、共産党の青年組織である
   マルクス・レーニン主義党(コムソモール)
の書記となった。

 1988年、コムソモールの組織を足がかりにして
   メナテップ(部門間科学技術プログラム)グループ
を設立した。
  
 ソ連ジルソツ銀行と合同し、同年12月
   科学技術進歩商業革新銀行
を設立した。
 同行は1990年
   メナテップ銀行(バンク・メナテップ)
に改称し、金融資本グループとしてソ連共産党の隠れ資産の運用・資金移転を実行する
   メナテップ・グループ
の勢力を拡大を進めた。

 1992年にエリツィン時代前期に首相代行、第一副首相などを歴任し、急進的経済改革を実施した
   エゴール・ガイダル
と大統領府長官、第一副首相兼蔵相を歴任し民営化政策を推進した
   アナトリー・チュバイス
の両名が主導した、ロシア国営企業群を
   バウチャー方式の民営化
といった1995年に実施された
   株式担保型民営化
の過程で多数の国営企業を取得して傘下に収め、同銀行を中心とする巨大な持株会社を形成していった。

 1995年9月、グループ管理会社として
   ロスプロム
を設立した。

 メナテップ・グループは
   外国為替取引
   国債運用
でグループの資産を増やすと同時に、ロシア国内の有望な企業に対して投資・買収を実施していった。

 ロスプロムにはメナテップ・グループの投資部門が切り離され
   ロスプロム・グループ
として一大財閥を形成していった。

 担保入札を通じて食品、繊維、建材、金属などの企業を傘下に収めた。

 石油会社ユコスもそのような形で吸収した企業のひとつであった。

 メナテップ銀行は、1998年の商業銀行ランキングでロシア第5位に至ったが、同年の
   ロシア金融危機
によって破綻した。
 グループでは金融部門から独立させていたユコスを中心としてその後発展していった。

 ホドルコフスキーは、1998年ユコス社の社長に就任し、原油の対米直接輸出を開始し
と並ぶロシア最大の石油会社にユコスは成長する歩みを始めた。
 また、2003年4月に「シブネフチ」社を吸収合併する計画を発表したが同年10月に、ホドルコフスキーは脱税などの罪で逮捕・起訴され、ユコスの社長を辞任した。
 なお、ホドルコフスキーの逮捕・追及は、2003年後半にホドルコフスキーがプーチン大統領への批判を公言し始め、ロシア連邦共産党を含む野党に対し献金を行っていたことが直接的な原因であるとされる。

 ただ、ユコスとシブネフチの合併で誕生するはずだった新会社の株式40%をアメリカの石油メジャーであるエクソンモービル社に取得させる交渉をしていたことで石油の国家管理を進めるプーチン政権の反発を招いたともいわれる。

 
  
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posted by まねきねこ at 05:41| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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