ジョゼフ・コロンボ(Joseph Colombo)
1914年12月14日 - 1978年10月1日
NYマフィアでコロンボ一家のボス
コロンボの父親は
のメンバーだったが、ファミリーの幹部の女と関係を持ったため、2人とも頭部に銃弾を受け、コロンボの父親のほうは性器を切られ口に押し込まれていたという。
マフィアの世界では組織のメンバーの女を寝取ることは厳禁という掟がある。
コロンボはマフィアに入った頃は殺人株式会社の一員(暗殺者)として活用されたのち
プロファッチ一家
(コロンボ一家の前身)
の構成員になった。
カルロ・ガンビーノとは親しい関係となったが、その後一家のボスの
ジョゼフ・マリオッコ
がコミッションともめ、ジョゼフ・ボナンノとガンビーノの暗殺計画を立てた。
コロンボはボナンノ・ファミリーの
ガスパー・ディ・グレゴリオ
からこの計画を聞きつけ、ガンビーノらに密告したため暗殺は失敗している。
ガンビーノはこれによりコロンボに対し借りを作ったため、その後、ガンビーノはコロンボをファミリーのボスにさせた。
ボスになってからは高級スーツや靴を履き、指にはダイヤの指輪をはめ、キャデラックのリムジンに乗るなど観かけは派手になっていった。
ただ、一部の部下は派手な振る舞いが逆にコロンボ自身に自信がないようにも見えたという。
住まいはブルックリンの高級住宅街で3階建ての煉瓦造りの立派な家に住んでいた。
人々のマフィアに対する注目をそらし、イタリア系市民への風当たりを和らげるため
「イタリア系アメリカ人公民権同盟」
を組織した。
また、映画「ゴッドファーザー」から「マフィア」という言葉を削除させるためパラマウント映画に抗議したのもコロンボといわれる。
沈黙の掟等目立たないのが鉄則でもある「マフィアの仕来り」で人前に出すぎたコロンボや一家は不必要にも捜査当局から厳しい追及を受けやすくなり、1970年の終わりまでにコロンボの部下の5人に1人が逮捕されていた。
さらにコロンボの派手な行動が組織の頂点のカルロ・ガンビーノには捜査当局や国民の注目を受けすぎることで生じるリスクが強くなるんを嫌っていた。
なお、公民権同盟を指揮したときに、5万人から年間で10ドルずつ会費を集めていたが、その金はコロンボの金になったという。
1971年6月、イタリア系アメリカ人公民権運動の第2回大会の会場で
ジェローム・ジョンソン
という黒人から銃撃を受け意識不明の重体となった。
病院に運ばれた日の晩にガンビーノが見舞いに来たが目を覚ますことなく植物状態になって7年間生きた。
同じプロファッチ一家出身だった
ジョーイ・ギャロ
はコロンボと利害関係で対立していた。
ギャロは下町のブルックリンで育ったため、当時のマフィアにしては
組織や人種の違い
を気にせずに付き合う男で暴走族の「ヘルズ・エンジェルズ」や黒人ギャングとも交際があった。
このためギャロがジョンソンに銃撃させたという説もあるがジョンソンは口封じのため事件の直後に射殺されてしまった。
なお、ジョンソンのポケットにはフロリダ行きの空港チケットがあり、騙されて利用されていた可能性が高いようだ。
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