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2013年11月09日

ジョゼフ・"ジョー"・プロファチ(oseph "Joe" Profaci) オリーブオイル王

ジョゼフ・"ジョー"・プロファチ(oseph "Joe" Profaci)
   1897年10月2日 - 1962年6月7日
 米国のイタリア系犯罪組織コーサ・ノストラの幹部
 プロファチ一家(現在のコロンボ一家)のボス
 本 名 ジュゼッペ・プロファチ(Giuseppe Profaci)
 ニックネーム 「老人」("The Old Man")
 シチリアパレルモ県ヴィッラバーテ出身で1927年にアメリカに渡って市民権を得る。

 NY2大勢力が激突し300人以上の死者が出た
   カステランマレーゼ戦争
の頃から既に一家のボスとなっていた。
 この同戦争ではサルヴァトーレ・マランツァーノ側に属した。

 マランツァーノが勝利し、NY市内が五大ファミリーに編成されるとともに
   ラッキー・ルチアーノ
によるその再編のいずれにおいても一家のボスの地位を保つことが出来た。

 マフィアは禁酒法時代に酒の密売で
   ジョセフ・P・ケネディ・シニア
とつながりがあったため、後に組織犯罪を厳しく追及することになる
   ジョン・F・ケネディ
   ロバート・ケネディ
を大統領と司法長官に就任する以前から信用していなかったという。
 なお、酒の密売だったジョセフの息子たちが政治家になることを支持していた大物ボスもいた。

 プロファチはイタリア産オリーブオイルの独占輸入権を持ち、アメリカ最大の輸入業者だったため
   オリーブオイル王
とも呼ばれ、巨万の富を築いた。
 プロファチの邸宅はセオドア・ルーズヴェルト元大統領の邸宅を購入したものであった。 
 なお、プロファチ一家の組員に対しては
   多額の上納金
を課す「けちなボスと」して知られていた。

 1953年、200万ドル以上の脱税容疑で司法省から告発される。

 1960年になって、その状況に不満を持つ組員の
   ギャロ兄弟(ローレンス、ジョゼフ、アルバート)
は五大ファミリーの内でプロファチと対立する立場にあるボスの
   トーマス・ルッケーゼ
   カルロ・ガンビーノ
の扇動を受けてプロファチに対する反乱抗争を起こした。

 プロファチはボスの集まりであるコミッションの席上危うく引退を言い渡されるまで追い込まれた。
 盟友であるジョゼフ・ボナンノの助けを受け巻き返してその地位を保った。

 プロファチは2年後に肝臓癌により死亡し、その後は従兄弟の
   ジョゼフ・マリオッコ
が継いだ。
  

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posted by まねきねこ at 21:43| 愛知 ☁| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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