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2013年11月05日

ルイス・バカルター ギャングの大物ボスで死刑になった最初で最後の人物

“レプキ”ルイス・バカルター
      (Louis "Lepke" Buchalter)
   1897年2月12日 - 1944年3月4日
  NYのユダヤ系ギャングスター
 渾名は、イディッシュ語で「小さなルイス」を意味する"Lepkeleh"から来ており、これは母が少年時代に彼をそう呼んでいたことにちなむ。

 イタリア系の犯罪組織のベンジャミン・シーゲル、 マイヤー・ランスキーと手を組み
   マーダー・インク「殺人株式会社」
を結成し、バカルターはトップとして暗殺部隊を指揮し、ギャングの大物ボスで死刑になった最初で最後の人物。

 ニューヨーク・マンハッタンの
   ロウアー・イースト・サイド
         (Lower East Side, Manhattan)
で、東欧出身のユダヤ移民の間で生まれ、少年時代から盗みに手を出しており、22歳までに2年近くも服役していた。

 友人の
   ジェイコブ・シャピロ
       (Jacob Shapiro)
とともに労働運動を利用し、企業や労働組合に対する恐喝などを続けた。

 バカルターは服飾産業の組合を牛耳っており配下には
などがいた。

 1927年にはライバルの
   “リトル・オージー”ジェイコブ・オーゲン
              (Jacob "Little Augie" Orgen)
をシャピロと共に殺害して権益を奪った。
 1930年代初頭、ラッキー・ルチアーノジョニー・トーリオとともに「緩やかな」同盟を結成した。

 1937年に特別検察官の
   トーマス・デューイ
が組織犯罪に対して圧力をかけたため一時期姿を隠している。
 その間、自分を有罪にする恐れのある人物を次々と消していった。

 そして2年後の1939年、ルチアーノから連邦法によって麻薬取締法で裁かれればニューヨーク州から殺人で告発されることは無いという助言もありバカルター自ら連邦捜査局に出頭した。
 当初は懲役14年の刑を受けてカンザス州レブンワース連邦刑務所へ送られた。
 その後、ニューヨークのデューイの元へ引き渡されて懲役30年の判決を受けた。

 翌1940年に側近の
が逮捕され、司法取引によりバカルターらのことを洗いざらい告白した。
 そのことで未解決事件がブルックリンだけで49件も片付いた。

 バカルターは1936年に殺害されたブルックリンのキャンディーショップ店主
   ジョゼフ・ローゼン
の殺害容疑で起訴された。

 ローゼンはバカルターが牛耳っていた服飾会社の元運転手だったが、当局に内通していると疑われたため殺害された。
 この事件の訴訟で1942年10月にバカルターは死刑判決を受けている。
 なお、バカルターは死刑執行を免れようと手練手管を用いて抵抗したものの、1944年3月4日、ニューヨーク州のシンシン刑務所で2人の部下
   ルイス・カポネ(Louis Capone)
   “メンディー”エマニュエル・ワイス(Emanuel "Mendy" Weiss)
と共に電気椅子で処刑された。
 なお、電気椅子で死んだ唯一の大物ギャングといわれている。

   
posted by まねきねこ at 00:00| 愛知 ☀| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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