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2013年11月06日
石原広一郎 石原産業の創業者
石原 広一郎
1890年1月26日
- 1970年4月16日
日本の実業家
二・二六事件で逮捕された経験を持つ国家主義的団体のリーダー、南進論者でもある。
京都市で生まれ、1913年に立命館大学法科専門部卒業した。
1945年から1948年まで
A級戦犯容疑
で巣鴨に拘禁されたが不起訴で釈放されている。
農業を営む父親
石原長太郎
を手伝いながら15歳で京都府立農林学校に入学した。
卒業後は京都府庁に入庁し、農業技手として勤務した。
その後、働きながら高等文官試験を目指し、私立
京都法政大学(立命館大学の前身)
専門部法律学科(夜間)
に入学した。
戊辰戦争以降、西園寺公望に仕えた丹波の郷士で京都法政学校の創立者
中川小十郎
に師事し、1913年に卒業した。
1916年、南方で事業を展開する弟の新三郎に請われ、京都府庁の職を辞し、日本を離れて実業家として生きることを決意して、マレーに向かった。
なお、もう一人の弟の高田儀三郎もマレーに移住していた。
マレー半島における鉄鉱山開発を進めるため、1925年に石原鉱業を設立、運搬のために海運業などにも進出し
石原産業海運
を中核に石原コンツェルンを形成した。
会社経営の傍ら、軍部を中心とする急進的社会改革を理想とした行地社の大川周明、松延繁次、狩野敏、等と国本社の一派からなる
神武会
や退役軍人を中心とする右翼団体
明倫会
などを後援し1936年の二・二六事件では
栗原安秀中尉
を介して資金面で多大な援助を行っていた。
しかし、事件が勃発すると
徳川義親侯爵
と共に、反乱士官に自決を勧めるなどの収拾工作を行っている。
その後、この事件の首謀者の一人として逮捕され代々木の
陸軍衛戍刑務所
に収監されたのち、1937年1月18日に無罪判決を受けた。
1944年から1年間、財団法人立命館の理事長を務めた。
戦後1945年から、A級戦犯容疑者として
巣鴨プリズン
に拘留されたものの起訴されることなく1948年に釈放された。
1949年には公職追放処分を解除され、石原産業社長に復帰している。
最晩年には経営する石原産業が四日市ぜんそくなど公害で糾弾される側に立たされたこともあって、個人的に廃棄物処理の技術開発を支援していたという。
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