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2013年10月30日

野口 遵 日窒コンツェルンを一代で築いた。

 
 野口 遵

  1873年7月26日 - 1944年1月15日
  
 
 日本窒素肥料(現 チッソ)を中核とする
   日窒コンツェルン
を一代で築いた日本の実業家で
   「電気化学工業の父」
   「朝鮮半島の事業王」
などと称された。
 
 チッソの他にも、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。
   
 
 朝鮮半島進出後の野口遵は政商として活躍した。
 
 朝鮮総督府の手厚い庇護の下、鴨緑江水系に
   赴戦江発電所
など大規模な水力発電所をいくつも建設した。
 
 
 また、咸鏡南道興南(現 咸興市の一部)に巨大なコンビナートを造成している。
 
 さらに、日本軍の進出とともに満州、海南島にまで進出し事業を拡大させた。
 
 森矗昶鮎川義介などと共に当時、「財界新人三羽烏」として並び称されていた。

 
 
 野口遵は金沢の貧しい士族の家に生まれ、東京師範学校附属小(現 筑波大附属小)を経て東京府中学(現 都立日比谷高校)入学した。
  
 しかし、中学は乱暴狼藉といたずらで追い出されてしまった。
 
 その後、転入した成立学舎を経て、第一高等中学校、帝国大学工科大学電気工学科(現 東京大学工学部電気工学科)を1896年に卒業した。
 
 
 1898年にシーメンス東京支社に入社した。
 
 仙台で日本初のカーバイド製造事業を1903年から手掛け1906年に
   曽木電気
という、後のチッソ、旭化成、積水化学、積水ハウス、信越化学の元となる会社を設立し、鹿児島県の大口に
   曽木水力発電所
を開いた。
 
 また、日本カーバイド商会を1907年に設立し、熊本県の水俣でカーバイドの製造を始めた。
 
 
 1908年に曽木電気と日本カーバイド商会を合併して
   日本窒素肥料
を設立した。
 
 1914年には広島電灯(現 中国電力)の取締役に就任した。
  

 
 中国山地・太田川水系の電源開発を計画した。
  
 また、東洋コルク工業(マツダの前身)などの支援や福屋デパート創業にも参画した。

 1919年 広島市に移住した。
 
 
 1921年 イタリアの
    カザレー博士
      (Luigi Casale)
からアンモニアの新しい製造方法(カザレー法)の特許を購入、1923年に宮崎県の延岡で、カザレー法によるアンモニア製造を開始した。
 
 なお、カザレー法の実用化として世界初のこととなる。
 
 
 日本窒素肥料の朝鮮半島への進出を1924年に決定した。
   
 1926年には朝鮮水力電気(朝鮮水電)と朝鮮窒素肥料の2社を設立した。
 
 日本ベンベルグ絹糸(現・旭化成)を1929年に設立した。
 
 
 1932年に京城府本町(現 ソウル特別市中区明洞)に
   半島ホテル(現 ロッテホテル)
を開業した。
 
 
 1940年に京城で脳溢血に倒れ、実業界から引退した。
 
 
 1941年には科学振興・朝鮮教育振興のため私財3000万円を投じて、2,500万円で野口研究所を設立、500万円を朝鮮奨学会に寄付した。
 
 1942年に勲一等瑞宝章を受けた。
 
 
 
 
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posted by まねきねこ at 11:42| 愛知 ☔| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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