ジョン・W・ノードストローム(John W. Nordstrom)
1871年2月15日−1963年10月11日
スウェーデン北部、ルレオに程近いAle村で鍛冶屋で荷車の修理、小規模な農業で生計をしていた家に生まれた。
元はヨハン・ノルドストレーム(Johan Nordström)という名前だった。
8歳で父親をなくし、年後に学校を退学、生活のため家族農園で働いた。
16歳の時に一攫千金を求めて欧州から1887年に新天地のアメリカ合衆国へ移住した。
所持金5ドルを握り締めニューヨークに到着、ミシガン州で鉱山労働者、鉄道工夫、製材所のキャンプなどの仕事をしながら鉄道を使ってアメリカを横断移動してシアトルに行き着いた。
シアトルでは造船所の仕事を見つけ、その間に蓄え、シアトル近郊のワシントン州アーリントンに
20エーカーのジャガイモ農場
を購入するのに足るだけの資金を貯めた。
1897年、シアトルの製材所で働いている時に金発見の新聞記事を見てカナダ・ユーコン準州クロンダイクでの
ゴールドラッシュ
に加わった。
2年後に金を掘り当て、13000ドルの利益を得た。
その利益を持ってシアトルに戻り
ヒルダ・カールソン
と結婚し、ビジネスの機会を探しビジネススクールに通いキャピトルヒルにある2つの賃貸住宅に投資した。
投資ビジネス先を模索し、最終的に1901年に近くで靴修理業を営む
カール・F・ヴァリン
と共同で靴屋を開店した。
同時期にジョンはヒルダと結婚し、二人の間に五人の子供を設けた。
そのうちエヴェレットとエルマー、ロイドの三人は後に彼の仕事を手伝うことになる。
シアトルに二号店を開店した1923年には、エルマーはワシントン大学を卒業し、同店の開店業務に携わるには十分な知識と実務経験を得ていた。
ジョンは1928年、仕事を引退して、エヴェレット、エルマー
の二人の息子に仕事の権利を譲り渡した。
1929年にはヴァリンが、同じく引退し、彼ら二人に自分の会社の権利を譲渡した。
セカンド・アベニュー店を1930年に
ノードストローム
と言う店名に改め新装開店を果たした。
続けて1933年には弟のロイドが仕事に加わり、兄弟たちはそれから40年に亘り仕事を共同でこなしていくことになる。
ノードストロームは1958年には二州にまたがって店舗を有するまでになっていたが、相変わらず売っているのは靴だけだった。
この頃のノードストロームで改革を行ったというものの
顧客へのサービス
品揃えの拡大
靴のサイズの網羅
などで靴の販売ビジネス専門の拡張した分野に限定されていた。
衣料品関係には1963年の
Best Apparel of Seattle社
を買収して初めて参入しており、会社の名前を1969年に
ノードストローム・ベスト
と改めた。
1968年までには、エヴェレットの引退も近づき、後継者たちが販売戦略について会議を重ねた。
家族以外の経営幹部は第二世代の保有している株式公開を模索する活動を強めた。
しかし、親族経営を主体に考えていたノードストローム社の第三世代であるエヴェレットの息子ブルースと、エルマーの二人の息子ジェームズ、ジョン、それにロイドの娘婿である
ジョン・マクミラン
らはこうした経営幹部が主体となって策定した企業の株式上場の動きを快くは思っていなかったものの、阻止する動きはしなかったという。
1971年にナスダックに上場、1973年、再度名前が変更され、現在のノードストロームという社名になった。
1999年にはニューヨーク証券取引所に創業者J.W.ノードストロームのイニシャルとともに上場した。
1990年代までは同社の第四世代とされる初代ノードストロームの子孫が経営陣を固めていた。
1997年、ノードストローム家とは姻戚関係のない
ジョン・ウィテカー
が始めてCEOの座についた。
2001年には創業者一族の一員であるブルースの息子たちが同社の経営に影響を与えるポジションまで地位を上げてノードストローム家が権力を有する状況を作り出した。
ノードストロームはシアトルの小さなデパートから、今やアメリカを代表する大企業になった。
その拡大は主に自力で新規店舗を出店していったものである。
他の大手百貨店のように同業者の買収のより規模を拡大する手法は行っておらず、企業内における買収先企業が占める部分は小さい。
なお、1975年にはアラスカ州に出店したが、この際
ノーザン・コメリカル社
を買収した。
これはノードストローム社史上唯一の買収による出店であった。
同年にはノードストローム・ラック(Nordstrom Rack)というアウトレットの第一号店をシアトルに出店している。
南カリフォルニアのコスタ・メサには1978年に出店し、1990年代初頭には、26店舗にノードストローム・ラック1店舗を加えた27店舗がカリフォルニアに展開している。
小売事業で拡大を続けていた1993年、商品カタログ部門が、ジョンの息子であるダンの指揮下で電子商取引事業のために誕生した。
ノードストロームはシアトルの一靴屋から全米規模で最先端のファッションを提供することに特化した小売りとして、またそのカスタマーサービスや、広いサイズ在庫、あるいはその衣類や靴、装飾品を、家族全員に幅広い趣味で提供できる店として知られている。
広い通路や壁を背にしたディスプレイ、洗練された内装や、買い物客が座れるイス、自社のトレードマークとも言える生のピアノ演奏なども有名で、ノードストロームは高級デパートの典型とされている。
店舗の面積が広まるにつれ、1979年初頭にはレストランを併設した店舗を設置していった。
ノードストローム(Nordstrom)またはノードストロム
シアトル(ワシントン州 米国)に本部と本店をおく、全米でも有数の大型高級デパートでチェーン展開している。
タイプ部のストアとして、ニューヨーク証券取引所(ティッカーシンボル JWN)にも上場している。
競合する高級デパートは
がある。
現在、ノードストロームは109の正規店舗と、ノードストローム・ロック56店舗、ジェフリー・ブティック(Jeffrey Boutiques)2店舗、およびラスト・チャンス(Last Change)と呼ばれる、28州から集められた売れ残り商品を販売するアウトレットを2店所有している。
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