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2013年09月13日

アシュケナジム 東欧系ユダヤ人

アシュケナジム
   アシュケナージム
    (Ashkenazim [ˌaʃkəˈnazim], אשכנזים)
 
 ユダヤのディアスポラ、いわゆる離散民族のうち
   ドイツ語圏や東欧諸国
などに定住した人々やその子孫を指すことば。
  
 
 アシュケナジムと15世紀前後に主にスペイン・ポルトガルまたはイタリア、トルコなどの
   南欧諸国
に定住した
   セファルディム
は、今日のユダヤ社会の二大勢力となっている。
 
 
 現代のイスラエル国家において一般に、アシュケナジムがヨーロッパ系ユダヤ人、セファルディムが中東系ユダヤ人を指す語として大雑把に区分けがされて使われている。
  
 
 ディアスポラ後も、ユダヤ人のほとんどが
   地中海世界
のちのイスラム世界に居住していた。
 
 
 ただ、イスラエル建国を模索したアシュケナジム系ユダヤ人はアルプス以北に居住しているがその起源ははっきりしない。
 
 ローマ時代に奴隷として移住したユダヤ人の子孫という説や、イスラム世界から商人としてヨーロッパを訪れたとする説、イタリアからアルプスを越えてやって来たとする説などある。
 
 
 一部では、ユダヤ人とは血統が交わらない9世紀頃に民衆が集団でユダヤ教に改宗した黒海北岸の
   ハザール汗国
の子孫も含まれている。
 
 8世紀から9世紀には北フランスにアシュケナジムらしきユダヤ人の記録が見えるようになった。

 当初は、ヨーロッパとイスラム世界とを結ぶ交易商人だった。
  
 
 ヨーロッパ・イスラム間の直接交易が主流となり、イスラム教の拡大によりユダヤ人への迫害により長距離の旅が危険になったことから、定住商人となった。
 
 さらにはキリスト教徒が禁止されていた金融業へと移行したと考えられる。
  
 
 キリスト教社会では「ユダヤ人高利貸」というユダヤ人の職業観に由来している。
 これに対しイスラム社会のユダヤ人にはこのような傾向はなかった。

 
 西欧にも定住したが、第一次十字軍によりドイツのラインラントで多数のユダヤ人が十字軍運動に熱狂したドイツ人などにより虐殺された。
 
 1290年にはイングランドから、1394年にはフランスからユダヤ人が追放された。
 
 
 15世紀になるとドイツ諸邦でも、神聖ローマ帝国や選挙侯、地方伯、辺境伯、ドイツ騎士団、大司教などに迫害や虐殺されたりした。

 迫害を逃れ国外に追放されたアシュケナジムの多くは東方へと移民した。
  
 
 オーストリア、ボヘミア、モラヴィア、ポーランドなどの地域へ移住し
   ポーランド王国
は1264年に「カリシュの法令」を発布してユダヤ人の
   社会的権利
を保護した。
 
 このためポーランドはユダヤ人にとって非常に住みやすい国家体制となり、のちにポーランド・リトアニア共和国の全地域へと拡散していった。
 
 
 ポーランド王国は当初
   チュートン騎士団等
ドイツ人勢力との結びつきが強いドイツ人移民に代わる専門職移民として歓迎した。
 
 商工民が主体であったドイツ人移民は、後に貴族が主体であった
   ドイツ騎士団
と闘争を起こし、ポーランドで最も熱狂的な
   愛国ポーランド国民
となっていった。
 
 
 両共和国で成功し、金融業に限らずさまざまな職業に就いた。
 
 実際のところ多くは農民であったになったことが西欧に住み続けた金融資本のユダヤ人たちと異なる。
 当初は開拓地を与えられ、後に経済的に困窮して大地主の小作人となっていった。
 
 ポーランド分割後はロシア帝国の専制的な政策により特に貧窮にあえぐことになる。

 
 フランス革命による平等思想の啓蒙や、ポーランド分割による国境の消滅により、アシュケナジムの中にはふたたび西欧に戻ったり、新大陸へと移住したりするものも現れた。
 
 大多数のユダヤ人は現在のポーランド、ベラルーシ、ウクライナ西部(ガリツィア)の三地域に居住した。

 
 19世紀末から20世紀前後にロシア帝国の
   ポグロム
や反ユダヤ政策、ヨーロッパ諸国での
   反ユダヤ主義
の勃興により、ユダヤ人自身の国民国家を約束の地に建国することを求める
   シオニズム
の思想が生まれた。
 
 ポーランドやロシアなど東欧からオスマン帝国領のパレスチナに入植する人々が現れた。

 
 第一次世界大戦後にロシアから独立を果たしたポーランド共和国は、ポーランド分割以前のポーランド国家であるポーランド・リトアニア共和国同様、再び世界最大のユダヤ人人口を抱える独立国家となった。
 
 ユダヤ系の右翼とキリスト教系の右翼との間で緊張関係が続いた。
 
 ポーランド軍創立者
   ユゼフ・ピウスツキ元帥
は開発独裁の立場から、イグナツィ・パデレフスキなどの派閥は自由主義の立場から、ユダヤ教徒とキリスト教徒の融和を模索していた。
 
 ドイツではナチスが台頭し、多くのユダヤ系ドイツ人がアメリカ合衆国やイギリス委任統治領パレスチナに逃げるように移住していった。
 
 
 ドイツとソ連によるポーランド侵攻が起きてポーランドが占領されると、ポーランドを含むヨーロッパのユダヤ系の人々はナチス・ドイツが引き起こしたホロコーストにより多くが死亡した。
 
 ポーランドでは600万人いたユダヤ人のうち300万人がドイツによって殺害された。
 これらの結果、現代のアシュケナジムは主にアメリカ合衆国かイスラエルに住むこととなった。
 
 
  
  
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posted by まねきねこ at 08:52| 愛知 ☔| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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