Lawrence Henry Summers
(1954年11月30日 - )
東欧系(アシュケナジム)ユダヤ系米国人 経済学者
クリントン政権後半期に第71代アメリカ合衆国
財務長官(在任、1999年 - 2001年)
を務めた。
1954年11月30日コネチカット州ニューヘイブンに経済学者でペンシルベニア大学教授
ロバート・サマーズ
(サミュエルソンから、サマーズに改姓)
の子として生まれる。
ノーベル経済学賞受賞者の
ポール・サミュエルソン
は父親の兄弟で、20 世紀の最も重要な経済理論家の一人で「アローの不可能性定理」として知られる経済学者
ケネス・アロー
(Kenneth Joseph Arrow)
は母の兄弟に当たる。
幼年期の多くをペンシルベニア州ペン・バリー(Penn Valley)で過ごした後フィラデルフィア郊外のハリトン高等学校(Harriton High School)に学んだ。
飛び級により1970年16歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学した。
当初は物理学を専攻するも1975年に経済学部に移った。
また、MITディベートチームの会員として活動している。
MITを卒業後、ハーバード大学大学院に進み、後にAIGの役員でもある
マーティン・フェルドシュタイン
(Martin Feldstein、1939年11月25日 - )
の下で学び、1982年博士号を取得した。
サマーズは、MIT、ハーバード双方で教壇に立つ資格を得た1983年に、28歳の若さでハーバード大学史上最年少の教授となった。
この頃、悪性リンパ腫と診断されたが、治療で完治している。
1982年から1983年にかけて共和党の
レーガン政権
の大統領経済諮問委員会スタッフを務めた。
また、1988年大統領選挙では、民主党の
マイケル・デュカキス候補
の経済アドバイザーとなった。
1991年には、ハーバード大学教授を辞し
世界銀行上級副総裁
として世界銀行チーフエコノミストに就任している。
1993年に、民主党のクリントン政権が成立するとアメリカ合衆国
財務省
に移り、財務次官に就任した。
1995年に、財務副長官となり日本の大蔵省
榊原英資財務官
とで実施した円高是正の協調介入で知られている。
1999年7月に、ゴールドマン・サックス共同会長だった
ロバート・ルービン
の辞任に伴い、後任の財務長官に就任している。
財務長官として国内の経済・財政政策や日本などの対外経済関係、通貨危機などの国際経済を担当した。
2001年に共和党の
ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権
の成立に伴い、ハーバード大学に学長として復帰した。
しかし、2005年に女性が統計的に数学と科学の最高レベルでの研究に対してより少ない適性を持つかも知れないと推測した発言が引き起こした。
また、2006年に、女性が科学で優秀な成績をあげられないのは
素質の差
だと受け止められる発言をして大学の内外から激しい批判を浴び同年6月30日に学長を辞任した。
2008年春学期より教職に復帰
ハーバード・カレッジ
ハーバード・ケネディ・スクール
の良好の学生を対象に、グローバリゼーションについての講座を受け持った。
なお、2009年、オバマ政権でアメリカ合衆国国家経済会議委員長に就任したものの、2010年末に辞任している。
2011年からは、ハーバード・ケネディ・スクールで教鞭を執り、教職生活に戻っている。
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