ジョージ・クラレンス・"バグズ"・モラン(George Clarence "Bugs" Moran)
1891年8月21日 - 1957年2月25日
シカゴのギャングスター
ミネソタ州出身でポーランド人とアイルランド人の血を引いている。
スー族出身のインディアンの血を引いている女性と結婚していたともいわれている。
なお、性格が荒く悪かったため「バグズ("Bugs")」と呼ばれていた。
モランは21歳になる頃にはすでに26回の強盗をはたらいて、警察に捕まり何度か刑務所に出入りしていた。
その後、禁酒法時代のアメリカ・シカゴのアイルランド系ギャングスター
の犯罪組織に加わった。
オバニオンは1924年11月10日に自分の経営する花屋で、ジョニー・トーリオの命令を受けて、花を買いに来た客に成りすました
の3人に暗殺された。
その後、組織を継いだ
ハイミー・ヴァイス(Hymie Weiss)
の副官となって、オバニオンの死後も「ビール戦争」と呼ばれる一連の抗争が続いた。
1925年5月には反撃に転じたヴァイス=モラン一味は、ジェンナ兄弟の長男アンジェロを暗殺した。
その後、次男トニーと三男マイクも暗殺した。
トーリオが車から降りたところを銃撃されたが幸いにも一命は取り留めた。
もともと血を見るのが好きではないトーリオはこの襲撃で引退を決意し、組織をカポネに譲り渡した。
1926年9月20日午後1時15分、一家のボスになったカポネは、ボディガードに囲まれアジトがあるホーソーン・インの1階レストランで遅めの昼食をしていたところに自動車のけたたましいエンジン音が響き渡った。
当然、このけたたましい音を聞き、「何事が起きたのか」とカポネを含む客たちは様子を見ようと窓に駆け寄った。
そこでは刑事の公用車がマフィアを追い立てているのか、たたましく機関銃を発砲していた。
その直後、黒塗りの車が10台ほど一列になって現れ、カポネがいるレストラン目掛けて機関銃による掃討連射を始めた。
機関銃からは1000発以上の銃弾が撃ち込まれたにも拘らず、負傷者が3人だけで死者は1人も出なかった。
カポネは怒り心頭で首謀者を探すよう手下に指示した。その後、首謀者がハイミー・ヴァイスであることを突き止め報復に出た。
1926年10月5日、アジトを置いていた建物でオバニオンが暗殺された花屋の前にヴァイス達は車を駐車したのち、ボディガードを従えて舗道を横切ろうとした。
カポネの放った刺客たちは1週間も前からこの花屋を見下ろせる向かいの建物に部屋に陣取り、ヴァイスの暗殺のチャンスを狙っていた。
この暗殺によりヴァイスは12発もの銃弾を浴びて絶命、組織はジョージ・モランが引き継いた。
1928年にはピートとフランクのグーゼンバーグ兄弟を使いアル・カポネの部下の
の暗殺を図るが止めを刺さずに失敗した。
また、この頃、カポネの暗殺も2度ほど企てるがやはり失敗している。
1929年2月14日にギャング史に残る
が起り、オバニアン派の長年のメンバーだった
フランク・グーゼンバーグ
ピート・グーゼンバーグ
ヘンリー・グーゼンバーグ
などバッグズ・モラン一家のヒットマンら6人及び通行人1人の計7人が殺害された。
当時、この事件はアル・カポネが指揮していたと言われる。
抗争を繰り広げていた両組織の勢力が直接的に激突した結果だ。
グーゼンバーグ兄弟らは
SMC運送会社の倉庫
でアル・カポネの策略でマシンガンの餌食になって殺害された。
現場にいるはずであったモランは数分遅れて現場に車できたため、倉庫の前に駐車していた偽物のパトカーを見て警察のガサ入れと勘違いして、現場を素通りしたため難を逃れたという。
虐殺の後で警察が虐殺の犯人についてモラン自身が関与したのかと尋問されたが
「あんな殺しかたをするのはカポネだけだ」
と答えたという。
1936年11月にはヴァイスがカポネの暗殺者の手に係り殺害された。
モランは残された組織を受け継ぎリーダーとなった。
脱税容疑で商売敵のカポネが投獄されシカゴ・アウトフィットのリーダーが
に引き継がれたものの、「聖バレンタインの虐殺」以前の勢力は幹部クラスが暗殺されて資力も武力も霧散してしまっており、モラン一味は特に目立った活動ができず組織野勢力を拡大する動きが出来ないままの小物のギャングのままであった。
FBIからは何年も前にやった銀行強盗の容疑で1956年には逮捕され収監された。
1957年2月、カンザス州のレブンワース刑務所で肺癌により死亡し、刑務所の墓地に埋葬された。
↓ 参考になったらクリックお願いします。

George Clarence “Bugs” Moran - The Truth! (American Gangsters Uncovered Book 1) (English Edition) - Clifford, Mark

