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2014年05月19日
コルレオーネ・マフィアのボスで「闘将軍」と呼ばれたルチアーノ・リッジョ Luciano Liggio
ルチアーノ・リッジョ
Luciano Liggio
(1925年1月25日 −1993年11月16日)
シチリア島のコルレオーネ・マフィアのボスで「闘将軍」と呼ばれた。
本 名 レッジョ(Leggio 通称 リッジョ)。
コルレオーネ村の貧しい農家で10番目の子として生まれた。
性格は粗暴であった。
子供の頃から短気ですぐにかっとなる性格だったという。
おじの一人はコルレオーネの司祭だった。
16歳のときに家畜泥棒や窃盗で告発されたが、表向きは羊飼いとして働いていた。
殺し屋としてミケーレ・ナヴァーラの手下として勢力をつけた。
20歳で初めて殺人を行なってから次々と殺人を重ね、30年間家畜窃盗を取り仕切っていた
バルバッチャ・ファミリー
のメンバーをアメリカ軍がシチリア島上陸作戦時に島に残していった
ステン機関銃
を使って掃討する攻撃を加えファミリーを破滅させた。
バルバッチャの縄張りとしてした家畜窃盗の分野の権益を確保した。
なお、この頃は優秀で冷酷なナヴァッラの殺し屋として活動した。
20歳時には、すでに大胆かつ冷血なマフィアとしてコルレオーネの住民に恐れられるようになった。
その後、徐々に力をつけナヴァーラを脅かす存在に成長した。
家畜窃盗を繰り返し、その肉をパレルモの市場に売り利益を上げた。
パレルモに出入りする過程でパレルモのマフィアとの結びつきを強めた結果、ナヴァーラによりコルレオーネを追放された。
リッジョは1957年にトラック27台を保有し、盗んだ家畜の肉を売りさばくため運送会社を設立した。
コルレオーネの権益を奪い取るという形で反撃を行った。
さらに、ダム建設において建設資材の運搬の独占と請負工事で見込まれる利益を得るため計画に賛成すしていった。
この対応で水源を管理していたナヴァーラたち旧マフィアとの対立をさらに深めた。
1958年6月23日に覆面をしたナヴァーラの部下に襲撃されたがかすり傷ですむ。
この事件のあと復讐を決意し、1958年8月2日にナヴァーラを蜂の巣にして殺害した。
その後、ナヴァーラの部下たちを一掃していった。
1958年だけでナヴァーラ派とリッジョ派の抗争では42人の死者を出した。
パレルモから消耗でコマが少なくなった戦闘員を供給でき数を補えたことでコルレオーネの支配権を手にすることに成功した。
次いでパレルモに進出すると、闇賭博、建築投機、煙草・麻薬の密売で利益を上げた。
そこで
サルヴァトーレ・グレコ
のファミリーと手を組み、煙草と麻薬密売を強化する。
警察が1963年に本格的にマフィア弾圧に乗り出すと、リッジョは地下に隠れた。
組織を裏から動かすことになった。
1964年5月14日に逮捕され、65年、67年、69年に裁判にかけられた。
しかし、いずれも証拠不十分で無罪となった。
なお、69年の裁判ではマフィアが陪審員に脅迫状を送ったためにリッジョを含む63人の被告者全員が無罪放免とされ、イタリア国民は失望した。
その後、姿をくらまし肝臓病を治すためにイタリア中の大病院を転々とした。
その頃は高価なスーツを着て穏やかな物腰の裕福な紳士だったという。
なお、粗暴な家畜窃盗犯である「コルレオーネの火種」の面影はなかったといわれる。
ナポリの犯罪組織カモッラのボスの一人
ロレンツォ・ヌヴォレッタ
とは盟友関係にあり、シチリアのパレルモ出身でもあったため、麻薬取引などビジネスを進めたりもした。
また、逃亡生活中、一時期彼にかくまってもらっていた事もある。
北イタリアに潜伏してアントニオ・フェッルージャという偽名を使い組織犯罪を指揮した。
その間に反マフィアの
スカリオーネ検察官殺害
や富豪の誘拐事件など犯罪を続けていたものの1974年5月14日に逮捕された。
当時彼はルチーア・パランツァーニという女性と同棲しており、パオロという子供までいた。
リッジョの逃亡生活は終わり、ナヴァッラに対する殺人罪で終身刑を受け74年から刑務所に入る。そこで彼の大ボスとしてのマフィア人生は終わったと思われていたが
サルヴァトーレ・リイナ
ベルナルド・プロヴェンツァーノ
という忠実な部下を使い獄中からも組織を動かしていた。
その後、リッジョは刑務所を移動する時に脱走計画を立てていたが、部下のリイナが計画を妨害したという。
リイナがボスになりたいためにリッジョを裏切ったという。
さらにリッジョがミラノのマンションで逮捕されたのはリイナの密告があったのかもしれないと、ブシェッタはほのめかしている。
トンマーゾ・ブシェッタの告白とその後のマフィア関係者の証言が一致することから、投獄後も大ボスであったことは間違いない。
しかし、リッジョ自身はマフィア大裁判の時このことを否定した。
普段は葉巻を吸わなかったが、裁判の時は葉巻をくわえてダイヤの指輪をはめ映画に出てくるようなマフィアのボスを演じきってきた。
長い獄中生活の間リッジョは絵、詩、小説などを書き、個展まで開いた。
なお、絵の評価はなかなか高かったという
1993年11月16日、刑務所内で心臓発作で死亡した。
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