ステファノ・マガディーノ(Stefano Magaddino)
1891年10月10日 - 1974年7月19日
ニューヨーク州バッファローのコーザノストラの幹部で犯罪組織のボス
コミッション・メンバーの一人
ジョゼフ・ボナンノの従兄弟でもある。
シチリアのカステッランマーレ・デル・ゴルフォの出身で、1921年に米国に移住した。
マガディーノは息子が、風紀紊乱で逮捕されたため
バッファロー・ファミリー
の力を使いそれを抑えようと試みたが抑えられず
ジョゼフ・ボナンノ
が最終的に告発を取り下げさせた。
ただ、マガディーノはボナンノの助力に感謝した。
しかし、一方では自分の力量で告発を取り下げられなかったことで従兄弟に頼まなくてはならなかったことを屈辱に思ったようだ。
マガディーノ自身は収益が高くリスクがある麻薬ビジネスに手を出さなかった。
ただ、マガディーノのファミリーのメンバーが麻薬密輸に関わっていたことを知っていたし、メンバーの上納金を受け取っており、それで儲けていた。
マフィアの表向けの原則に則って麻薬ビジネスには反対していたが、実際はやめられないとわかっている者から儲けを受け取っていた。
米国流の思考を持った
トーマス・ルッケーゼ
ら伝統的な風習を排除したボスたちと盟友になったマガディーノもある時点から麻薬ビジネスに反対出来なくなり、そのほうに足並みを揃えるようになった。
その後、従兄弟のジョゼフ・ボナンノとは対立するようになっていった。
マガディーノはジェノヴェーゼ一家の構成員
ジョゼフ・ヴァラキ
のマクレラン委員会での証言の後、激怒しヴァラキ殺害にマフィアが合意したと言っていたことが、FBIの盗聴作戦で明らかになった。
なお、ピーターとステファノのマガディーノ兄弟はケネディ兄弟がマフィアと対決したとき、ケネディの一家全員、親父とおふくろも殺すべきだと言っていたという。
1964年にはジョゼフ・ボナンノを誘拐して主導権争いで話し合いをし、結局ボナンノは引退を余儀なくされた。
マガディーノは組織の拠点を置いていたニューヨーク州のナイアガラ・フォールズ近郊で1974年に心臓発作のため死去し、付近の墓地へ埋葬された。
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