相良油田(さがらゆでん)
日本では太平洋岸唯一の産油地だった静岡県榛原郡菅山村(現在の牧之原市西部)にあった油田。
産油量の激減や、日本国外からの安い原油の輸入などのため、1955年に廃止になった。
世界的にもアラビアンライトより高品質の軽質油で、精製せずにそのままで自動車が動くと言われた。
1872年(明治5年)に海老江の谷間で油くさい水が出ることと聞いた元徳川藩士の
村上正局(まさちか)
によって発見された。
1873年(明治6年)5月には手掘りにより採油が始まり、1871年(明治4年)に長野県水内郡桑名川村(現 飯山市)の
石坂周造(山岡鉄舟の義弟)
が創業した長野石炭油会社によって1874年(明治7年)に日本で最初の機械掘りが行われた。
最盛期の1884年(明治17年)頃は、約600人が働き
年間 721キロリットル
が産出されていた。
1993年、京都大学大学院工学研究科合成・生物化学専攻の今中忠行教授が研究室内の「無酸素実験装置」において、 相良油田から採取した
石油分解菌 「Oleomonas sagaranensis HD-1株」
が通常状態では石油を分解する能力を持ちながら、 石油も酸素も無い環境におかれると、細胞内に逆に原油を作り出すことを発見した。
今中忠行教授らはこの石油分解菌がメタンハイドレートに関係していると指摘している。
ひとこと
日本の領海内にあるメタンハイドロレートの試掘が渥美半島南方70キロで行われ予想外の好成績であった。
日本の周辺域で埋蔵されているメタンハイドロレート由来の原油が発見される可能性は高い。
南房総には日本最大の水溶性天然ガス田
南関東ガス田
があり、埋蔵量は 1,000億 m3 と推定される。このガスは鹹水(かん水)と呼ばれる地下水に含まれており鹹水には海水の2,000倍ものヨウ素を含んでいることからガス採取に伴いヨウ素が確保できることから日本はチリに次いで世界第2位のヨウ素産出国ともなっている。
日本は本当は資源大国である史実を明治以降忘れてしまった。探査技術や採掘技術を確保すれば莫大な資源を手に入れることは可能だろう。
虎視眈々と中国は日本領土を狙い、米国はこうした資源を共同開発等の名の元に手に入れようと画策している可能性がある。
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