スタンダード・オイル
(Standard Oil)
米国の石油会社で当時世界最大の規模を誇った。
ジョン・ロックフェラーとそのパートナーによって1863年に設立された
オハイオ州の組合
(パートナーシップ)
を前身として、1870年に設立された。
ロックフェラーは事業の拡大を行い
ヘンリー・M・フラグラー
が所有した石油精製所を含む五つの精製所を所有するパートナーシップの会社
ロックフェラー・アンドリュース・アンド・フラグラー
を経営した。
会社は1868年までに世界最大の製油所を所有するまでになった。
1870年1月10日にロックフェラーはオハイオ州法に基づき
スタンダード・オイル・オブ・オハイオ
を創設したのち買収によって企業間競争を勝ち抜き
South Improvement Company
による製油所の統合戦略をペンシルバニア鉄道と共に進めた。
1874年にチャールズ・プラット・アンド・カンパニー
を買収、創立者の
チャールズ・プラット
ヘンリー・H・ロジャーズ
は買収と同時にスタンダード・オイルに加わった。
1878年までにスタンダード・オイルはアメリカ合衆国内における石油精製能力の90%を保持した。
州法によって会社の規模を制限する動きに対応して、1882年に同社は
信託(ビジネス・トラスト)
を企業形態とするスタンダード・オイル・トラストが、傘下の企業を支配する体制に再編成された。
スタンダード・オイル・トラストの三人の重要人物はヘンリー・H・ロジャーズ、ウィリアム・ロックフェラー、そしてジョン・ロックフェラーであった。
この独占による弊害を防ぐため、1890年に連邦議会が
シャーマン法
を制定し、これに基づき1892年にオハイオ州最高裁からトラストの破棄命令が下された。
ジョン・ロックフェラーは1899年に規制の緩いニュージャージー州法に基づく株式会社を親会社とする持株会社方式によって再編し、独占を維持した。
マクルールー誌の取材を通し、ジャーナリストの
アイダ・ターベル
が1904年に「スタンダード・オイルの歴史」を発行したことをきっかけに市場独占をなすトラストが問題視され、ジャーナリスト等の注目を浴び等に批判されるようになった。
反トラストの流れは防げず、1911年に連邦最高裁から解体命令が出され、スタンダード・オイルは34の新会社に分割された。
なお、シャーマン法はアメリカで最初に制定された独占禁止法であり、クレイトン法、連邦取引委員会法とともに反トラスト法の中心をなす法律となっている。
また、バレル樽に代わって1900年に開発されたばかりのドラム缶を1902年から量産して使用するようになった。