ロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch Shell)
オランダのハーグに本拠を置くオランダとイギリスの世界第2位の石油エネルギー企業
スーパーメジャーのうちの1社
ロイヤル・ダッチ・シェルの事業は、垂直統合で行っており、探鉱 、生産、輸送、精製、販売までの事業を一括でしている。
幕末から明治維新という騒乱の時代を抜け文明開化が花盛りとなった新興国家日本で一旗上げようとして1871年、父親にもらった片道切符と懐に入れた5ポンドで18歳の
マーカス・サミュエル
(Marcus Samuel バーステッド子爵)
はロンドンから単身船に乗り来日した。
商売の種を探そうといてたまたま立ち寄った湘南や三浦海岸で見つけ美しいものや珍しい貝殻を英国に送った。
父親はロンドンで貝殻を受け取り装飾箱に仕立てて販売するという商売が大いに繁盛したという。
サミュエルは、1876年(23歳の時)に、横浜で
マーカス・サミュエル商会
を創業し、日本の雑貨類をイギリスへ輸出、日本に工業製品を輸入したりした。
また、日本の石炭をマレー半島へ、日本の米をインドへ売るなど、アジアを相手に商売を拡大させていった。
日本に拠点を置いた貿易で大成功をおさめたサミュエルは、インドネシアで石油探査を行い
ライジング・サン石油株式会社
をつくって、日本に石油を売り込み始めた。
原油はバレル樽に詰めて輸出を行っていたものの運搬に手間隙が掛かることからサミュエルは造船の専門家を招いて、世界で初めてのタンカー船「ミュレックス号」を考案し、やがて「タンカー王」として知られるようになった。
なお、新造タンカー「ミュレックス号」がスエズ運河を通過し、シンガポールに航路をとったのは、1892年8月23日であったという。
サミュエルは1894年に「日清戦争」が勃発すると、日本軍に食糧や石油、兵器、軍需物質を供給して助けた。 これらの大きな功績によって、明治天皇から
「勲一等旭日大綬章」
を授けられた。
サミュエルは「シェル運輸交易会社」を1897年に設立し、本社を横浜の元町に置いた。
湘南海岸で自ら「貝」を拾った日々の原点に戻って、「シェル」と称した。
こうして横浜が「シェル石油会社」の発祥の地となった。
ロイヤル・ダッチは、オランダ領東インド(現インドネシア)を拠点に活動していた
ジャン・バプティスト・オーガスト=ケスラー
(Jean Baptiste August Kessler)
が1890年にオランダ王室からの特許状を受けて
オランダ領東インド石油開発会社
を設立して石油開発に着手し過酷な気候や風土病に悩まされながらも1892年に操業を開始した。
その際スタンダード・オイルへの対抗もありシェルに石油運搬を委託していた。
当時、世界各地でアメリカのロックフェラー系の
(現 エクソンモービル)
との競争が熾烈になり、英国に拠点を移した金融資本家
ロスチャイルド財閥
の仲介により、オランダの
ロイヤル・ダッチ石油会社
とイギリス資本の「シェル石油会社」が石油の利権を確保するため1907年に事業提携し
ロイヤル・ダッチ・シェル
が誕生した。
このイギリス=オランダ連合の「ロイヤル・ダッチ・シェル」の子会社的存在が、イギリスの
ブリティッシュ・ペトロリアム(英国石油 略称BP)
という関係にある。
サミュエルは、石油事業に成功しイギリスに戻ると名士となり1902年に、ロンドン市長になった。
なお、ユダヤ人として、5人目のロンドン市長である。
1960年代以降ナイジェリアでも操業し、政府系企業などと合弁で
シェル・ナイジェリア
として活動している。
この事業提携が事実上の単一企業と看做されて98年続いてきた。
2001年ごろから傘下の油田の埋蔵量を下方修正するなど財務上の問題が明らかになり、株主よりコーポレートガバナンス(企業統治)上の透明性向上の要求から単一法人化を求める圧力が急激に高まっていた。
2005年5月、98年間続いた2社提携の状態に終止符が打たれ、両社は合併して単一の法人ロイヤル・ダッチ・シェルとなった。
2012年2月10日、近年国家戦略としてエネルギー資源の獲得に意欲を見せる中華人民共和国の中国石油天然気勘探開発公司(中国石油天然気集団の子会社)が、ロイヤル・ダッチ・シェルが保有する、カナダブリティッシュコロンビア州グラウンドバーチの権益の20%を買収し、同地域の天然ガス液化工場での共同プロジェクトに参画することとなった。
現在、売上高が世界2位の民間石油エネルギー会社であり、ヨーロッパ最大のエネルギーグループである。
グループ企業は145の国に広がり、世界中に47以上の製油所と、4万店舗以上のガソリンスタンドを展開している。
事業の多角化を早くから行っており、ロイヤル・ダッチ・シェルは石油事業、ガス事業、石炭事業、化学事業、原子力発電事業、金属事業など様々な事業を保有している。
2000年代の初めからは代替エネルギーにシフトし、太陽光発電 、風力発電、水素プロジェクトなどの新規分野にも積極的に投資をしている。
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