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2012年08月10日

アンジェロ・ブルーノ(Angelo "The Gentle Don" Bruno) フィラデルフィア・ファミリーのボス

アンジェロ・ブルーノ(Angelo "The Gentle Don" Bruno)
   1910年5月21日−1980年3月21日
 暴力よりも話し合いによる問題の解決を好んだ為
   穏やかなるドン
との評判を得ていた。
 フィラデルフィアを支配したマフィア組織
   フィラデルフィア・ファミリー
      (Philadelphia crime family)
のボス。
      ブルーノ.jpg

 NYのマフィアのボスである
とは親しい間柄であった。
 アンジェロ・ブルーノはイタリアのシチリア島のヴィッラルバで
   アンジェロ・アンナローロ
         (Angelo Annaloro)
として生まれ、10代の頃、アメリカに移住して"ブルーノ"と名乗り、フィラデルフィア(ペンシルベニア州)に住み着いた。
 1958年に当時のボスだった
   ジョー・アイダ
が逮捕を逃れるためイタリアへ逃亡したため
   アントニオ・ポリナ
がボス代行を務めた。
 ポリナはその後ファミリー内のライバルであったブルーノを排除するため殺し屋による暗殺を仕組んだ。
 しかし、指令を受けた暗殺者がブルーノに暗殺計画を密告したため、ブルーノはコミッションに報告した。
 コミッションは秩序を破壊するポリナを解任、新たなボスとしてブルーノにフィラデルフィア・ファミリーを管理させた。
 なお、ニューヨーク・マフィアで占められているコミッションの中では唯一のニューヨーク以外のコミッションメンバーとなった。
 FBIの盗聴活動ではケネディ兄弟が
   米国内にあった組織犯罪
をつぶそうとした時、ブルーノが幹部の
   ウィリー・ワイズバーク
とケネディを暗殺すべきだと話していたことが明らかになった。
 ブルーノが率いるフィラデルフィア・ファミリーはNYやシカゴなどの犯罪組織と違い、犯罪組織としては成功している部類に入っていると考えられていた。
 ブルーノはマスメディアや司法当局からの追求、そして他の
   ファミリーが抱えている抗争等
を避ける術を心得ていた。
 ブルーノはいくつかの逮捕にもかかわらず、長期の懲役を受けることもなかった。
 彼が受けた最も長い懲役は
   裁判において証言を拒否
したことに対して2年の懲役を科せられたことのみであった。
 さらにブルーノはスポーツ賭博や高利貸し等の
   伝統的な犯罪稼業
を好んでおり自分のファミリーの構成員らが麻薬に手を出すこと厳罰を持って制止し許さなかった。
 合法的な仕事を好むビジネスマンタイプのボスで麻薬取引や売春業を嫌っていたようだ。
 大きな権益をもっていたアトランティックシティのギャンブルを支配し、表では何も持っていたいと言っていた。
 さらに、組員を活用し労働組合を支配させ建設業界からも大きな利益を吸い上げようとしていた。
 CBS製作のドキュメンタリー
   "THE TARGET MAFIA"
の第8回「ゴッドファーザーの終焉」によると、ブルーノ自身は別のチャンネルを活用して麻薬取引を行って多額の利益を得ていた。
 そのことで部下からは不満の声が上がりファミリー内で彼に反感を持つグループが現れるようになった。
 麻薬によって得られる莫大な利益が手に入れられない事に業を煮やした者が
   組織犯罪グループ内
に不満分子を囲み込んだうえで、年老いたボスへの裏切りを画策した。
 アンジェロ・ブルーノ(69歳)は、1980年3月21日、レストランから部下の
   ジョン・スタンファ
       (John Stanfa)
に自宅へ送ってもらい、スタンファが助手席の窓を開けると同時に暗殺者が飛び出してきた。
 暗殺者はショットガンでブルーノの後頭部を撃ち抜ち逃げ去った。
 殺害を命じたのはファミリーの相談役
   アントニオ・"トニー・バナナズ"・カポニグロ
         (Antonio "Tony Bananas" Caponigro)
と考えられていた。
 ただ、ブルーノ殺害から3週間後、ニューヨークで、車のトランクに詰め込まれていた遺体袋からカポニグロが義理の兄弟と共に発見された。
 検視の結果、彼らは拷問の末に刃物で刺された上に射殺され、口と肛門には約300ドルの紙幣が押し込まれていた。
 コミッションから殺人許可を得ずにブルーノを殺害した事が原因と見られている。
 その後、ファミリーは
             (Philip Testa)
が率いる事になったが、一年後の1981年3月15日に副ボスの
   ピーター・カセッラ
      (Peter Casella)
により、自宅に仕掛けられた釘爆弾により暗殺された。
 カセッラはファミリーのボスになろうとしたが、野心家で頭の切れる
がコミッションを味方に付け、カセッラを追放してファミリーの実権を握った。
 なお、ブルーノの殺害を手引きしたスタンファは1981年に懲役8年の判決を受けた。
 フィラデルフィア・ファミリーは、内部抗争等により打撃を受け、その後、ブルーノの暗殺を手引きしたジョン・スタンファが出所後の1991年にボスの座に着いている。
 ジョン・スタンファは
   ジョセフ・メルリーノ
      (Joseph Merlino)
と熾烈な内部抗争を繰り広げて多数の犠牲者を出し、1994年に再び逮捕され、活動停止状態となった。



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posted by まねきねこ at 09:39| 愛知 ☔| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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