トーマス・"トミー・ライアン"・エボリ(Thomas "Tommy Ryan" Eboli)
1911年6月11日−1972年7月16日
ニューヨークのマフィアで五大ファミリーのひとつ
ジェノヴェーゼ・ファミリー
の代理ボス(acting boss)だった人物。
本 名 トンマーゾ・エボリ(Tommaso Eboli)
エボリの初期の人生については、イタリアで生まれたという事以外の詳細は不明で記録が見つからない。
1933年に違法賭博及び治安紊乱行為等6件の容疑により逮捕された記録があるものの、全生涯において服役したのはボクシングのレフェリーを襲ったことに対して判決で60日間のみであったという。
なお、この原因はレフェリー
レイ・ミラー
が、エボリのお気に入りのボクサーだった
ロニー・デュランド
とロッキー・カステラーニが対戦した試合で、軍配をカステラーニに上げた事からエボリを怒らせミラーはボクシング界から追放したことだという。
ルッケーゼ・ファミリーのボスだった
トーマス・ガリアーノ
は、エボリのお抱え運転手兼ボディーガードである。
なお、彼は悪名が高い人物として名を残した
ドミニク・アロンギ
のいとこにあたる。
エボリとアロンギは後に
アパラチン会議
として知られている多数のマフィアメンバーが集合したところをFBIと警察の急襲により逮捕される事になる事件で共に逮捕されている。
なお、トーマス・エボリ・ジュニアとパスクァーレ・エボリ(Pasquale "Patty Ryan" Eboli)の父親であり、ルイス・エボリ(Louis "The Mooch" Eboli)の叔父にあたる。
1931年、当時ニューヨークの暗黒街の2大勢力
の両一家による世に「カステランマレーゼ戦争」と呼ばれる事件が勃発した。
最終的には両陣営で500人以上の死者を出しマランツァーノ側の勝利で終わったという
この抗争の後、アメリカ・マフィアの有力な地位を獲得した
により、ニューヨーク5大ファミリー及びシカゴの犯罪組織
や、その他の地域のファミリーのボス達からなるコミッションが創設が提案された。
なお、ルチアーノがこのコミッションの初代議長となった。
ルチアーノとは禁酒法時代が始まって以来の知り合いであったエボリは、ルチアーノの副ボス
のボディーガードとなった。
1936年、ルチアーノが投獄されるとコンシリエーレ(consigliere、顧問)の
がファミリーのボス代行となった。
この就任はコステロと対立していたジェノヴェーゼにとっては非常に不愉快なものとなった。
NYでのドイツ軍スパイの諜報活動の阻止や欧州戦線で米軍に協力していたものの第2次世界大戦後、米国司法当局等は掌を返すがごとく1946年になるとルチアーノをイタリアへ追放する処分をした。
コステロのルチアーノの後継者として、そしてルチアーノ・ファミリーのボスとしての地位はますます明白なものへとなっていった。
ジェノヴェーゼのコステロへの敵対心が最高潮に達した。
1957年、ジェノヴェーゼはコステロ暗殺計画を実行したもののコステロの頭に軽症を負っただけの完全な失敗となった。
しかし、同年、コステロは引退を表明した。
1950年代後半、エボリはジェノヴェーゼの配下達を取り込み、新たなるグループを形成しそのグループのカポレジームとなった。
1959年、ヴィト・ジェノヴェーゼが麻薬密売容疑で逮捕された。
判決により懲役15年の刑に服役することになると、ファミリーのボスの座に空白が生まれた。
1959年、エボリをファミリーの代理ボスとして、副ボスには
ジェラルド・"ジェリー"・カテナ
コンシリエーレには
ミケーレ・"ビッグ・マイク"・ミランダ
が、そしてエボリの補佐として
アンソニー・"トニー・ベンダー"・ストロッロ
が就任し、ファミリーの指揮を執っていくこととなった。
また、カポレジームの
フィリップ・"ベニー・スクイント"・ロンバルド
が組織の最終的な意思決定権を持っていたという。
この組織のトップに見せ掛けとも身代わりとも言える代理ボスを置き、実質的な支配権は別の人物が握る手法は
コミッティー・ローリング・パネル
( Committee/Ruling Panel)
と呼ばれ、外部から内部組織を知られないよう1950年代以降、犯罪組織のファミリーが運営されるようになった。
1969年にジェノヴェーゼが獄中で死亡すると、エボリは唯一の公式な代理ボスとなった。
さらに1970年に副ボスのカテナが当局に告発された。
エボリはファミリーの表向きの公式なボス(front boss)となった。
エボリは捜査当局にファミリーの公式なボスあるいはボス代行としてリストアップされたもののファミリーを支配していたのは
フィリップ・ロンバルド
ミケーレ・ミランダ
という構図であり、エボリは捜査当局からの追求を欺く為に"組織のボス"を演じていた。
見せ掛けのボスとして、また他のファミリーにも自分がファミリーのボスであると示していたエボリは新しいビジネスとして
麻薬の取引
を始めたいと考え、この商売に必要な資金を、当時、コミッションの議長でもあったガンビーノ・ファミリーのボス
から400万ドルを借り受ける事で賄うことにした。
1970年以来、2年間、エボリはファミリーの表向きのボスを演じ続けていた。
アメリカ捜査当局は、1970年代初期の間に
多数のエボリの配下構成員
を逮捕し、400万ドルの麻薬取引を没収して封じ込めることに成功した。
この取引が失敗に終わったことから
は、エボリに対し数日以内に貸した金の返済を要求した。
しかし、エボリは既にガンビーノらに返すだけの金を持ち合わせて折らず金を返すことが出来なかった。
1972年7月16日、午前1時頃、金を返せなくなり約束を破ったエボリはガールフレンドのアパートから出て、自分の車に乗り込もうとした時に暗殺者から放たれた5発の銃弾で即死した。
↓ 参考になったらクリックお願いします。