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2013年11月18日

トーマス・"トミー・ライアン"・エボリ(Thomas "Tommy Ryan" Eboli) NYマフィア「ジェノヴェーゼ・ファミリー」の代理ボス(acting boss)

トーマス・"トミー・ライアン"・エボリ(Thomas "Tommy Ryan" Eboli)
   1911年6月11日−1972年7月16日
 ニューヨークのマフィアで五大ファミリーのひとつ
   ジェノヴェーゼ・ファミリー
の代理ボス(acting boss)だった人物。
 本 名 トンマーゾ・エボリ(Tommaso Eboli)
 エボリは、イタリアのナポリ県シチアーノで
   ルイ・エボリ
   マダレーナ・マッダローネ
の子として、本名トンマーゾ・エボリとして生まれた。
 エボリは、ジェノヴェーゼ・ファミリーのボス
   パスクアーレ「パティ・ライアン」エボリ
の兄弟であった。
 イタリア系の血統を隠すため、エボリはプロボクサーのトミー・ライアンにちなんで「トミー・ライアン」というニックネームを使った。
 エボリは1960年8月27日にアメリカ合衆国市民権を取得した。
 若い頃、エボリはプロボクサーとして活躍していた。
 1920年代初頭、禁酒法時代には、エボリは後に犯罪組織のボスとなる
の密造酒業者となった。
 1930年代初頭には、ルチアーノの副ボスである
の専属ボディガードとなり、ジェノヴェーゼ家のために20件もの殺人を犯したとの記録がある。
 1933年、エボリは違法賭博と軽犯罪の罪で6件逮捕された。
 ただ、全生涯において服役したのはボクシングのレフェリーを襲ったことに対して判決で60日間のみであったという。
 なお、この原因はレフェリー
   レイ・ミラー
が、エボリのお気に入りのボクサーだった
   ロニー・デュランド
とロッキー・カステラーニが対戦した試合で、軍配をカステラーニに上げた事からエボリを怒らせミラーはボクシング界から追放したことだという。
 ルッケーゼ・ファミリーのボスだった
は、エボリのお抱え運転手兼ボディーガードである。
 なお、彼は悪名が高い人物として名を残した
   ドミニク・アロンギ
のいとこにあたる。
 エボリとアロンギは後に
として知られている多数のマフィアメンバーが集合したところをFBIと警察の急襲により逮捕される事になる事件で共に逮捕されている。
 なお、トーマス・エボリ・ジュニアとパスクァーレ・エボリ(Pasquale "Patty Ryan" Eboli)の父親であり、ルイス・エボリ(Louis "The Mooch" Eboli)の叔父にあたる。
 1931年、当時ニューヨークの暗黒街の2大勢力
の両一家による世に「カステランマレーゼ戦争」と呼ばれる事件が勃発した。
 最終的には両陣営で500人以上の死者を出しマランツァーノ側の勝利で終わったという
 この抗争の後、アメリカ・マフィアの有力な地位を獲得した
により、ニューヨーク5大ファミリー及びシカゴの犯罪組織
や、その他の地域のファミリーのボス達からなるコミッションが創設が提案された。
 なお、ルチアーノがこのコミッションの初代議長となった。
 ルチアーノとは禁酒法時代が始まって以来の知り合いであったエボリは、ルチアーノの副ボス
のボディーガードとなった。
 1936年、ルチアーノが投獄されるとコンシリエーレ(consigliere、顧問)
がファミリーのボス代行となった。
 この就任はコステロと対立していたジェノヴェーゼにとっては非常に不愉快なものとなった。
 NYでのドイツ軍スパイの諜報活動の阻止や欧州戦線で米軍に協力していたものの第2次世界大戦後、米国司法当局等は掌を返すがごとく1946年になるとルチアーノをイタリアへ追放する処分をした。
 コステロルチアーノの後継者として、そしてルチアーノ・ファミリーのボスとしての地位はますます明白なものへとなっていった。
 ジェノヴェーゼコステロへの敵対心が最高潮に達した。
 1950年代後半、エボリはジェノヴェーゼの配下達を取り込み、新たなるグループを形成しそのグループのカポレジームとなった。
 1957年、ジェノヴェーゼ
   コステロ暗殺計画
を実行したもののコステロの頭に軽症を負っただけの完全な失敗となった。
 しかし、同年、コステロは引退を表明した。
 1957年、ヴィト・ジェノヴェーゼがついにボスとなり、エボリはかつての
   グリニッチ・ヴィレッジ・クルー
を率いるカポレジム(カポレジ)の支配権を握った。
 エボリは、マンハッタンのミッドタウンとロウアー・マンハッタンに複数の観光客向けナイトクラブやゲイバーを所有していたと言われている。
 エボリはマンハッタンのハドソン川の埠頭でも違法な取引を行っていた。
 エボリは、ジュークボックス供給業者の
   ジェット・ミュージック・コーポレーション
   トライアン・シガレット・ベンディング・サービス社
のオーナーでもあった。
 1959年4月17日、ジェノヴェーゼは麻薬密売容疑で逮捕され、連邦刑務所で15年の刑を宣告された。
 判決により懲役15年の刑に服役することになると、ファミリーのボスの座に空白が生まれた。
 1959年、エボリをファミリーの代理ボスとして、副ボスには
   ジェラルド・"ジェリー"・カテナ
コンシリエーレには
   ミケーレ・"ビッグ・マイク"・ミランダ
が、そしてエボリの補佐として
   アンソニー・"トニー・ベンダー"・ストロッロ
が就任し、ファミリーの指揮を執っていくこととなった。
 また、カポレジームの
   フィリップ・"ベニー・スクイント"・ロンバルド
が組織の最終的な意思決定権を持っていたという。
 この組織のトップに見せ掛けとも身代わりとも言える代理ボスを置き、実質的な支配権は別の人物が握る手法は
   コミッティー・ローリング・パネル
            ( Committee/Ruling Panel)
と呼ばれ、外部から内部組織を知られないよう1950年代以降、犯罪組織のファミリーが運営されるようになった。
 1969年2月14日、ジェノヴェーゼは獄中で自然死し、ジェノヴェーゼ家の組織運営は混乱に陥った。
 エボリは当然の後継者候補だった。
 ただ、その年、健康状態が悪化し、捜査対象にもなっていた。
 1969年7月28日、エボリはその年3度目の心臓発作を起こした。
 マンハッタンのニューヨーク大学医療センターに緊急搬送され、最終的に回復した。
 前回の心臓発作は7月17日、ニュージャージー州捜査委員会による組織犯罪に関する公聴会に出席した2日後に発生した。
 エボリが初めて心臓発作を起こしたのは、1969年2月のニューヨーク州捜査委員会の会合中だった。
 ただ、法執行機関と他のマフィア幹部は、エボリがこれらの攻撃の一部を偽装したと考えていた。
 ジェノヴェーゼの死後、カテナが新たなボスとなった。
 しかし、カテナは1970年に副ボスのカテナが当局に告発。起訴され、投獄された。
 エボリはファミリーの表向きの公式なボス(front boss)となった。
 エボリは捜査当局にファミリーの公式なボスあるいはボス代行としてリストアップされたもののファミリーを支配していたのは
   フィリップ・ロンバルド
   ミケーレ・ミランダ
という構図であり、エボリは捜査当局からの追求を欺く為に"組織のボス"を演じていた。
 見せ掛けのボスとして、また他のファミリーにも自分がファミリーのボスであると示していたエボリは新しいビジネスとして
   麻薬の取引
を始めたいと考え、この商売に必要な資金を、当時、コミッションの議長でもあったガンビーノ・ファミリーのボス
から400万ドルを借り受ける事で賄うことにした。
 1970年以来、2年間、エボリはファミリーの表向きのボスを演じ続けていた。
 アメリカ連邦捜査当局は、1970年代初期の間に
   多数のエボリの配下構成員
を逮捕し、400万ドルの麻薬取引を没収して封じ込めることに成功した。
 この取引が失敗に終わったことから
と彼の副ボスである
は、エボリに対し数日以内に貸した金の返済を要求したが、エボリには資金がなかった。
 その後、ガンビーノは支払いが滞ったため、エボリの殺害を命じたとされている。
 しかし、ガンビーノは実際にはエボリを排除して、ガンビーノの仲間である
に交代させようとしており、麻薬密売組織を利用してエボリの麻薬取引情報を捜査機関に密告してエボリを陥れようとしたと考えられている。
 1972年7月16日、午前1時頃、金を返せなくなり約束を破ったエボリはガールフレンドのアパートから出て、自分の車に乗り込もうとした時に暗殺者から放たれた5発の銃弾で即死した。
 エボリはイリノイ州メルローズ・パーク出身の
   アンナ・アリオラ
と結婚し、二人の間には、
   トーマス・エボリ・ジュニア
とシカゴ・アウトフィットのボス
   ルイス「ザ・ムーチ」エボリ
が生まれた。
 なお、「ザ・ムーチ」は1987年、52歳で癌のため亡くなっている。
 アリオラと別れた後、エボリは
   メアリー・ペレロ
と交際を始め、二人の間には
   マデレーナ
   メアリー
   サヴェリオ
が生まれた。
 また、エボリには、ジャクソン・ハイツの
   ヘレン・ネギー
との間に、
   ロザン
   ジョアン
という二人の娘も生まれた。
 エボリと彼の三番目の家族は、ニュージャージー州フォート・リーにあるハドソン川を見下ろす高層アパートに住んでいた。
 ただ、死の直前にエボリはニュージャージー州フェア・ローンに家を購入した。

  
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posted by まねきねこ at 00:00| 愛知 ☔| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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