当ブログ内の情報はあくまでも参考情報です。投資にあたっての判断は投資する人の自己責任でお願いします。
当ブログでは、一切の責任を負いませんでご了承下さい。

マーケット出来事貴金属とレアメタル宝石と宝飾品貴金属の取引方法貴金属取扱会社

2011年04月19日

シャネル Chanel

シャネル
Chanel
 ココ・シャネルが興したファッションブランド
 レディース商品を中心に展開し
   服飾・化粧品・香水・宝飾品・時計
と展開分野を広げた。
 
    

 古い価値観にとらわれない女性像がブランドポリシーといわれる。
 喪服用途であった黒い服を
   リトル・ブラック・ドレス
として広汎的に広めた。
 また、自立した働く女性のためのジャージ素材、ツイード素材のスーツを打ち出し次々と刷新していった。

 2012年現在のデザインディレクターはカール・ラガーフェルドである。
 
 ・ シャネルの戦略 ―究極のラグジュアリーブランドに見る技術経営
  
 ココ・シャネルが1910年にパリのカンボン通り21番地に
   「シャネル・モード」
という帽子専門店を開店したのが始まり。
 1913年、リゾート地ドーヴィルに第1号のモードブティックを開店した。
 
  
  
 続いて1915年、ビアリッツに
   「メゾン・ド・クチュール」
をオープン、オートクチュールのデザイナーとして本格的にデビューした。

 1916年には第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表した。
 安くシンプルで着心地がよく、無駄のない、ジャージ素材を取り入れたドレスが話題となる。
 
      
  
 本店を1921年にカンボン通り31番地に移転した。
 調香師の
   エルネスト・ボー
により、シャネル初の香水「No.5」を同年の5月5日に発売した。
 なお、「No.5」は試作品番号という。
 
 ・ ココ・アヴァン・シャネル特別版 [DVD]

 第二次世界大戦(1939年)の勃発とともに、香水とアクセサリーのブティック以外の全店を閉鎖した。
 ココがナチス・ドイツによるフランス占領中を通じ
   ドイツ軍将校と愛人関係
にあったため、1944年の連合国軍によるフランス解放とともに
   スイスへの逃亡
を余儀なくされた。
 
    

 戦後、1954年になって閉鎖店舗が復活、カンボン通りの店を再開し、オートクチュール・コレクションも復活させる。

 1970年、香水「No.19」を発表、翌1971年、住居としていたオテル・リッツで、ココが死去した。
 その後、カール・ラガーフェルドがデザイナーに就任している。
 
 ココのスタイルを守りながら、時代の空気を取り入れた新しいシャネルを提案し、ブランドとしての再興を果たす。

 シャネル製品の大多数は自社工場で製造されている。
 サングラス・メガネフレームはイタリアの
   ルックスオティカ
がライセンスを受けて生産している。
 
    
 
 シャネルは1924年に模造宝石をつかった
   ビジュ・ファンデジ
の発表後、1932年本物のダイヤモンドを使ったハイ・ジュエリーラインを発表している。
 1939年に店舗を閉鎖した際も、アクセサリーラインを扱う店舗は残していた。
 
 
   ↓ 参考になったらクリックお願いします。
  人気ブログランキングへ
  
  
posted by まねきねこ at 05:04| 愛知 | Comment(0) | ファッション、ブランド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: