Christian Dior
(1905年1月21日 - 1957年10月24日)
フランスのファッションデザイナーで1950年代に活躍、創立したファッションブランドを展開している。
企業ブランドとしては通称
ディオール(Dior)
と呼ばれ、フランスを本拠地とする複合企業、LVMHに属している。
フランス北西部ノルマンディーマンシュ県・グランヴィルで実業家の家庭に生まれた。
両親の願望に応じて外交官になる望みから1920年から1925年12月までフランスの
パリ政治学院
に学んだものの、ディオールは芸術に強い興味を持っていた。
親からの出資で1928年に小さなアートギャラリーを持ち
パブロ・ピカソ
マックス・ジャコブ
などの絵を置いたものの世界恐慌の影響など家庭の財政的な問題により2年でギャラリーを閉鎖した。
その後、1930年代には
オートクチュールハウス
のためにスケッチデザインをやることによって生計を立てるようになった。
1938年にロバート・ピゲ(Robert Piguet)と仕事をして、後に
リュシアン・ルロン
(Lucien Lelong)
のファッションハウスのデザイナーとして1941年に仕事に加わった。
そこで、ディオールとピエール・バルマンユ、ベール・ド・ジバンシーは主要なデザイナ−として活躍した。
ディオールは第2次世界大戦終了の1945年に独立し事業を始めた。
綿のファブリック王との異名もある繊維業および競走馬生産者として成功した
マルセル・ブサック
(Marcel Boussac)
の援助により1946年12月、パリのアヴェニュー・モンテーニュ30番地にファッションハウスを設立した。
翌1947年2月には最初のファッションショーを開催、この
春夏コレクション
にディオールが採用したラインが、いわゆる「ニュールック」である。
これはアラビア数字の8にも似た、細く絞ったウェストとゆったりしたフレアスカートを特徴とするものであった。
戦時中の資材不足によりフランスのクチュリエ(服飾デザイナー)たちが1着の服に使える布の面積に厳しい制限を抱えていた。
このため、戦後『ハーパース・バザー』誌の編集長であった
カーメル・スノウ
(Carmel Snow)
はこのコレクションに衝撃を受け、「ニュールック」と呼んだといわれる。
戦後のファッションの指針を示したディオールは47年から57年までの11年間、パリのオートクチュール界の頂点に君臨した。
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