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2011年10月01日

末次 平蔵 江戸時代初期の貿易商人

末次 平蔵
 天文15年(1546年)頃
    - 寛永7年5月25日(1630年7月5日)
 江戸時代初期の貿易商人・長崎代官

 博多の豪商である末次興善の次男として生まれ、元亀2年(1571年)に長崎に移住した。
 朱印船貿易で安南・シャムなどと貿易を行い貿易商人として活躍した。

 元和4年(1618年)に長崎代官の村山等安を
  キリシタンを擁護した事
  大坂方と通じた
という嫌疑で幕府に訴え、翌5年(1619年)に等安が処刑された。
 その後、等安に代わって長崎代官となった。
  
奇跡の村―隠れキリシタンの里・今村明治維新を機に名乗りをあげたこの北九州の隠れ里に、尖塔をそなえた教会を建てた人々の力と、心の十字架を背負ってブラジルに移民した村人たちの物語。

 なお、平蔵は元は「ジョアン」という洗礼名を持つキリシタンだった。
 キリシタン禁教時代になり棄教して仏教に転宗している。
 また、長崎奉行の
   長谷川権六
に協力してキリシタンの弾圧を支援している。
 
 長崎の地で寛永3年(1626年)にキリシタン棄教令が発せられた時に、同じく棄教した長崎町年寄の高木作右衛門と共に、長崎奉行の
   水野守信
に協力してキリシタンの弾圧を激しく行なったことでも知られる。

 タイオワン事件(ノイツ事件)を起こし、寛永7年(1630年)に江戸の牢獄に幽閉され、幕臣により斬殺されている。

 
 なお、この平蔵という名前は、2代代官末次茂貞・3代代官末次茂房・4代代官末次茂朝も名乗っている。
 
 
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posted by まねきねこ at 08:26| 愛知 ☀| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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