Jakob Mayer
(1792年5月15日 - 1868年11月15日)
銀行家であり有名なロスチャイルド家
なお、ドイツ時代には
ヤーコプ・マイアー・ロートシルト
と呼ばれていた。
フランスに移住後は
ジェイムズ・ド・ロチルド
(James de Rothschild)
を名乗った。
| ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う 18世紀以降に起こった重大金融事件の黒幕にスポットを当て、彼らの戦略目的や常套手段を分析比較しながら、彼らが将来中国に対して仕掛ける攻撃方法を予測し、中国の採るべき道を探る。 |
フランクフルトの金融マイアー・アムシェル・ロートシルト(1744-1812)の5番目の末っ子として誕生した。
欧州では覇権争いが続いた時代であり、敗戦ともなれば貸し付けたお金が戻らないなどは日常茶飯事であったため、家長のマイヤーは
家族銀行帝国
を維持するため彼の息子5人の各人を対峙する
各国に分家を設立
させるため、主要なヨーロッパの商業都市に送り出した。
ジェイムズは父親の指示により1811年にパリに移住しており、1817年に
フランス・ロスチャイルド商会
を開業した。
なお、ナポレオン戦争の敗戦国フランスは
イギリス同盟に支払う賠償金
の総額は
7億フラン
にも達し、この莫大な支払いを公債として引き受ける業務を行った。
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1815年当時、5つのロスチャイルド商会の資産総額は
333万フラン
とも言われたが、3年後には凡そ13倍の4200万フランとなり、10年後には1億1840万フランにも膨れあがった。
ただ、この額は自己資本だけの控えめな計算であり、実際は
1億6500万フラン
を超えていたと見られるという。
当時、パリ第2位の
ラフィット銀行
が700万フラン、ナポレオンが設立した発券銀行である
フランス銀行
でさえ6000万フランの時代に
パリ・ロスチャイルド商会
の推定資産は3700万フランであったともいわれている。
なお、ロスチャイルド商会の
総資産1億6500万フラン
がいかに巨額だったかが分かる。
・ 図解 世界「闇の支配者」
・ 通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす
ワーテルロー戦での敗北後にナポレオンが退位した後、フランスでは
シャルル10世
ルイ・フィリップ
という二人のフランス王の助言者として、ジェイムズがフランスの
最も強力な銀行家
に成長した。
ナポレオン戦争の後には、ベルギーとパリを結ぶ
北面鉄道等輸送用鉄道の建設
天然資源の採掘事業
に融資してフランスを工業大国にする原動力となった。
また、ジェイムズは、アルジェリアに
埋蔵している鉄鉱石
に目をつけ息子のエドモンドの家庭教師をしていた
アルバート・コーエン
を北アフリカとその周辺域に派遣、資源探査をさせた。
コーエンはアフリカ探査から帰宅すると、エドモンドにパレスチナの旅がどれほど素晴らしいものであったか熱く語って聞かせた。
後年にはエドモンドによるイスラエル建国への資金提供に発展していった。
コーエンのアルジェリア資源の報告と巨額の資産の存在は、ジェイムズを動かし1830年に
フランス外国人傭兵
を利用しアルジェリア侵略へと展開し植民地化した。
なお、茶の輸入とフランスのブドウ園の購買などの投資においても保有する財産を着実に増やしていった。


1822年にはオーストリア皇帝の
フランツ1世
(元神聖ローマ皇帝フランツ2世)
によって4人の兄弟と共に"男爵"の称号を与えられた。
同年、オーストリア帝国の総領事に任命され、1823年にレジオンドヌール勲章を与えられた。
ジェイムズはフランスの八大鉄道において12の重役ポストを占めて鉄道王となった。
1868年に死去した時の遺産は6億フラン以上を残している。
この6億フランというのは、フランス国内の他の全ての金融業者の総資産推定額である1億5000万フランの4倍という値であった。
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