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2011年02月27日

吉田松陰 明治維新の陰の立役者

 
吉田 松陰

    文政13年(1830年)8月4日
     〜文政13年(1830年)8月4日
 長州藩士で明治維新の成立に大きな影響を与えた。
 
  
 
 萩城下松本村で長州藩士
   杉  常道
    (1804年4月3日−1865年10月18日 通称 百合之助)
の次男として生まれ、天保5年(1834年)6歳の時に叔父で山鹿流兵学師範である
   吉田 大助
の養子となった。
 
 その後、天保6年(1835年)に大助が死去したため、同じく叔父の
   玉木 文之進
が開いた松下村塾で指導を受けた。
 (なお、明治9年(1876年)、前原一誠による萩の乱に養子の玉木正誼や門弟の多くが参加した。)
 
 11歳の時、藩主である
   毛利慶親
への御前講義の出来栄えが見事であったことにより、その才能が認められた。 
 
 
 
 アヘン戦争で清が西洋列強に大敗したことを知って武田信玄の軍師の一人でもあった山本勘介の戦術とも謂われる
   山鹿流兵学
が時代遅れであることを悟った。
 
 そのため、嘉永3年(1850年)に
   西洋兵学を学ぶ
ために九州に遊学後、江戸に出て佐久間象山に師事した。
 
 
  
 嘉永5年(1852年)、友人である
   宮部鼎蔵
らと東北旅行を計画していたものの、長州藩からの
   過書手形(通行手形)
の発行が遅れたため
   出発日の約束を守る
ため手形の発行を待たず脱藩した。
 
 
 この東北遊学では、水戸で水戸学の代表的思想家である
   会沢正志斎
と面会、会津においては
   藩校 日新館
の見学を始め、東北の鉱山の様子等を見学した。
 
  
 
 また、秋田では
   相馬大作事件
の真相を地区住民に尋ねたり、津軽では
   津軽海峡を通行
するという外国船を見学したという。
 
  
 
 江戸に帰着後、藩士としてあるまじき行為であったとし毛利藩から罪に問われて
   士籍剥奪・世禄没収
の処分を受けた。
 
 
 嘉永6年(1853年)に浦賀に
   マシュー・ペリー
が来航したとの噂を確かめに師である
   佐久間象山
とともに黒船を陸上から視察、西洋の先進文明に心を打たれ、外国留学を決意した。
 
  
  
 その後、同郷の金子重輔とともに開港目的に
   プチャーチン
が長崎に寄港していたため、率いてきた
   ロシア軍艦
に乗り込もうと試みようと向かったがヨーロッパで勃発したクリミア戦争にイギリスが参戦した事から同艦が予定を繰り上げて出航した為に失敗している。
 
 

 安政元年(1854年)にペリー
   日米和親条約締結
の為に再航した際には金子と二人で停泊中のポーハタン号へ赴き、乗船して密航を訴えるが拒否された。
  
 
 
 松陰は乗り捨てた
   小舟から発見される証拠
が幕府に渡る前に奉行所に自首し、伝馬町の牢屋敷に送られた。
 
 なお、この密航事件に連座して
   佐久間象山
も投獄されている。
 
 ご禁制を破ったかどで幕府の一部ではこのときに
   佐久間、吉田両名を死罪
にしようという動きもあった。
  
 
 ただ、老中首座の 阿部正弘が反対したため、助命されて長州へ檻送
   野山獄
に幽囚された。
  
 安政2年(1855年)に出獄を許されたものの、杉家に幽閉の処分となった。
  
 
 安政4年(1857年)に叔父が主宰していた
   松下村塾
の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾した。
  
 
 この松下村塾において松陰は
   久坂玄瑞
   高杉晋作
   吉田稔麿
   入江九一
   前原一誠
   品川弥二郎
   山田顕義
   山縣有朋
   伊藤博文 など
の明治時代の基礎をつくる面々を教育していった。
  
 
 安政5年(1858年)に幕府が
   無勅許で日米修好通商条約
を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して
   老中首座 間部詮勝
の暗殺を計画したものの頓挫した。
 
 大老であった井伊直弼による
   安政の大獄
が始まると、江戸の伝馬町牢屋敷に送られた。
 
 
 
 なお、幕閣の大半は暗殺計画は
   実行以前に頓挫
したことや松陰が素直に罪を自供していたことから
   遠島にするのが妥当
だと考えていたものの、松陰は尋問に際し
   老中暗殺計画の詳細
を自供し、自身を
   死罪にするのが妥当
だと主張したことが井伊に聞こえ
   直弼の逆鱗
に触れたため安政 6年(1859年)10月27日に斬刑に処された。
 
 
 
 
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posted by まねきねこ at 16:35| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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