トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)
1847年2月11日 - 1931年10月18日
一般的には「発明王」と呼ばれて生涯におよそ1,300もの発明を行ったことで知られている。
エジソンは学校の勉強では
関係のないことだけ
を質問する生徒であり、教師からの評価は良くなかったといわれており、そのため、母親が基本的な勉強を教えていた。
研究所が置かれたニュージャージー州の
メンロパーク
にちなんで
The Wizard of Menlo Park
とも呼ばれた。
リュミエール兄弟と並んで映画の父とも言われている。
トムソン・ヒューストン・カンパニー(Thomson-Houston Electric Company )とエジソン総合電気(Edison General Electric Company)が1892年に合併し
が誕生し、同時に雇われ社長となった。
また、自らの発明の権利を守るため訴訟を厭わなかったことから
訴訟王
の異名も持っている。
一方、ジョルジュ・メリエスの傑作
月世界旅行
を
公開前に無断で複製
しアメリカ中の映画館に売りつけ巨額の富を得てもいる。
電球を発明した人物として有名であるが、実際には、電球のような家電を含めて発電から送電まで電気の事業化に成功したことが、最も大きな功績となった。
1877年に蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得し、ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立、集まった人材を発明集団として機能させるマネジメント面で辣腕を振るった。
研究所では電話、レコードプレーヤー、電気鉄道、鉱石分離符、電灯照明等を矢継ぎ早に商品化した。
特に注力したのは白熱電球であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。
なお、この特許の有効性について訴訟が起こり、裁判で特許が有効と判定されるまでに時間がかかった。
一方、白熱電球の売り込みのための合弁会社を作り、直流の電力を供給するシステムを確立させる。
その後、ウェストオレンジ研究室に1887年に移った。
ここでは動画撮影機キネトグラフを発明したが、実は彼の部下である
ウィリアム・ディッカーソン
の発明と言われている。
なお、当時、ゴールドラッシュが拡大し花形とも言えた鉱山経営等にも手を出しているが失敗している。
高齢となって会社経営からは身を引いたものの、研究所に篭り死者との交信の実験を続けた。
1914年12月には研究所が火事で全焼し約200万ドルの損害を蒙ったが、その後も死者との交信についての研究を続けたという。