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2015年07月05日

カルロ・ガンビーノ(Carlo "Don Carlo" Gambino) NYのガンビーノ一家のボス

カルロ・ガンビーノ(Carlo "Don Carlo" Gambino)
   1902年8月24日 - 1976年10月15日
 シチリア島のパレルモ近郊のカッカモ(Caccamo)に生まれでNY市に移民し
   イタリア系犯罪組織コーサ・ノストラ
のボスの一人
 後年は物静かな大ボスというイメージで知られている。

 配下のガンビーノ一家を全米最強最大のマフィア一家に育て上げた。
 また、1960年代のマフィアの全国委員会の議長をつとめたことでも知られる。
 いとこのポール・カステラーノの妹カタリーネと1932年に結婚し二男一女をもうけた。

 ガンビーノ自身は小柄で暗殺を恐れ衆目を浴びるのも嫌っており、地味な服装を好んだ。
 唯一鷲鼻が特徴的な物静かな外見は目立たない男といった雰囲気であった。
 また、家庭を大事にしており生活はつつましく、近所のイタリア人が出していた露店でよく買い物をしたともいわれている。

 支配下のガンビーノ一家内で麻薬取引をしている者はいたものの、ガンビーノ自身は
   麻薬ビジネス
には反対していたと言われている。

 シチリア・パレルモのマフィア
      (1924年7月3日〜1975年10月28日)
が米国にヘロインを持ち込もうとしたときには
   「私はおまえを尊敬してるし大事に思っている」
が、米国に麻薬を持ち込むのなら殺さなければならないだろうとメッセージを送り警告したことでも知られている
 ガンビーノは、10代でマフィアの一員になり、1921年にシチリアのマフィアのボス
         (Vito Cascio Ferro)
の命令を受けて一家でアメリカに密航した。
 ニューヨークにいた母方のカステラーノ家のつてを頼ってワインやオリーブ油、アンチョビなどの食材を密輸するビジネスを行った。
 その後、一度シチリアに戻ったもののファシスト党党首で第40代イタリア王国首相の
    ベニート・ムッソリーニ
とバレルモ知事に任命された
により徹底した山賊討伐とマフィア弾圧を避け、再び1929年に密航者として米国へ渡った。
 その後、ジョー・マッセリア(通称 ジョー・ザ・ボス)の配下となり、戦闘員(ソルジャー)となって働いた。

 禁酒法時代を最大限利用して酒の密売で莫大な利益を上げたひとりでもある。
 マッセリアサルヴァトーレ・マランツァーノ(1886年7月31日 - 1931年9月10日)
が殺害され、ニューヨークが
によって五大ファミリーに分割されると、ブルックリン地区を仕切った
の配下となった。

 第二次世界大戦中には
   闇市の配給スタンプ
を価格管理オフィスから盗みそれを転売し利益を上げていた。
 副ボスだったアルバート・アナスタシアが1951年にマンガーノを暗殺してボスの地位に上った。

 1957年6月17日にはマンガーノの前にボスを務め、マンガーノがボスになってからはアンダーボスとなっていた
   フランク・スカリーチェ
が殺害され、ガンビーノがアンダーボスとなった。
 スカリーチェは次期ボスと目されたが、ヘロイン密輸のトラブルを起こしたとされる。
 またマフィア構成員の
   メンバーシップ
を5万ドルで売り捌いていたとの嫌疑をかけられていた。
 全国委員会の暗殺命令を受けたヒットマンが1957年6月17日、ブロンクスの果物屋でフルーツを買い込み釣銭をポケットにしまいながら外に出たスカリーチェに向け4発狙撃し暗殺した。

 ヒットマンはアナスタシア側近の殺し屋
   ヴィンセント・"ジェローム"・スキランテ
らとされ、警察が重要参考人として事情聴取した。

 1955年には米国議会上院の麻薬捜査委員会で追及を受けており、警察は麻薬がらみの殺害とみていた。

 ガンビーノはジェノヴェーゼ一家のボス
と組んで、ジェノヴェーゼのライバルだったアナスタシアを同年10月25日に暗殺、その論功行賞として3年間の観察期間を経て、一家のボスに据えられた。

 ガンビーノはアナスタシアのあとを継ぐと、一家内の争いを避けるためアナスタシアの側近の
をアンダーボスにした。

 ガンビーノはジェノヴェーゼの傀儡に甘んじることなく、フランク・コステロ、マイヤー・ランスキー、さらには子供同士が結婚しているルッケーゼ一家のボスのトーマス・ルッケーゼらと組んで今度はジェノヴェーゼを麻薬取引の容疑で逮捕させる陰謀に成功した。
 また、プロファチ一家のボスには傀儡の
   ジョゼフ・コロンボ
を据え、自分の命を狙ったボナンノ一家のボス
を引退に追い込んで、ガンビーノ一家はニューヨーク最強の地位を確立した。

 最後に残っていたジェノヴェーゼ一家についてもジェノヴェーゼの死後ボス代行となっていた
を暗殺し、後釜に盟友のフランク・ティエリを据えている。
 これによりガンビーノの地位は絶対的な地位を確立し1960年代から1970年代にかけてニューヨークの5大ファミリーを束ねる存在となった。

 ガンビーノの賢明な支配の下、一家は拡大を続け、構成人員は正式メンバー以外の関係者を含めると数千人に達し、全米最大を誇った。
 この時代、マフィアは年間5億ドルは儲けていたという。

 ガンビーノ自身は、全米のトラック等の輸送産業を支配していた中心人物として知られていた。

 ボスになると今までの違法ビジネスのほかに
   建築業、運輸業、食品卸業
など合法ビジネスにも手を出し、莫大な利益を手にした。
 なお、イタリア系アメリカ人公民権同盟を組織したりしていた
   コロンボの派手な行動
を快く思っていなかった。
 このため、1971年6月28日のコロンボ狙撃(意識不明のまま1978年に死亡)で中心的な役割を演じたと考えられている。

 ガンビーノは妻を1971年癌で亡くして以降体調を崩し、1976年に心臓病により自宅で死去した。
 なお、ガンビーノは死ぬ1年近く前に実質的なボスの座を
に譲っていた。

 後継ボスとして一家内で最大の勢力を誇る副ボスの
は当時刑務所に収監されていたことから、いとこのポール・カステラーノを指名したと言われている。
 10年後にデラクローチェの後を継いだ
によってカステラーノは暗殺され、一家の運命は下降線をたどった。
  

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posted by まねきねこ at 17:58| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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