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2011年01月13日

クラレンス・W・バロン 

クラレンス・W・バロン
  1855年7月2日 - 1928年10月2日 
 ボストン(マサチューセッツ州)生まれ育った。
 Boston's Graduate English High Schoolを1873に卒業し、Boston Dairy やthe Boston Evening Transcriptなどの新聞業界での仕事に従事したのち
  フィラデルフィア・ニュース・ビューロー
  ボストン・ニュース・ビューロー
を設立し成功を収めた後、1900年に
   ジェシー・M・マルドン
      (Jessie.M.Waldon)
と結婚します。→ ranking
 なお、彼女は再婚で既に2人の子供JaneとMarthaの母親でした。
 クラレンスは1903年にニューヨークにあるダウジョーンズ社の株主となった。
 チャールズ・ダウが1912年に亡くなった後、自らが社主に就任しました。
 最新の印刷技術を導入、自らの経験に基づいたスキルを改革に活かし社に新風を吹き込みます。
 
 1918年にJessieが亡くなり、2人の娘は共にボストンの上流階級に属する相手と結婚します。
 娘ジェーンがボストンブラーミンと呼ばれるボストン最上流階級に属する名門
   バンクロフト家
に嫁いだ。→ ranking

 ボストンブラーミンまたの名を
   the First Families of Boston
とも呼ばれるボストンの誕生から今日に至るまで、ボストンに政治・経済おける支配的階級に属する人々の階層に入るきっかけを作ったことはクラレンスにボストン社交界への扉を開かせました。

 ちょうど、第1次世界大戦で疲弊する欧州諸国に対し、物資供給としての役割を担った米国経済は大きく拡大しNYなど金融市場の中心地では摩天楼を形成する勢いで繁栄の極みを謳歌しようとしていました。
 こうした情勢にも味方されこの時期に
   ウォールストリートジャーナル
の発行部数が飛躍的に伸ばし、同時にダウ・ジョーンズの名も世界に知られるようになりました。→ ranking

 クラレンスの後を引き継いだのが娘ジェシーの夫
   ヒュー・バンクロフト
です。
 ヒューは社主に就任したのち親友である
   ケネス.C.ホガート
をジャーナルの編集責任者に据えダウジョーンズ社の発展に貢献しました。→ ranking
  
 ダウジョーンズ社は2007年7月19日にメディア王と呼ばれるマードック氏率いるニューズ・コーポレーションからの6000億円を超える買収提案を基本的に受け入れることを正式に決定しました。

 買収に関してはダウジョーンズ社の、特に反対派が難色を示し続けた最大の焦点がマードック氏が
   将来的な新聞媒体からの撤退
   編集権への介入
でした。→ ranking
  
   
posted by まねきねこ at 06:02| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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