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2010年12月24日

ジャーディン・マセソン商会

ジャーディン・マセソン
 Jardine Matheson Holdings Limited
     怡和控股有限公司 
 
 
 香港にヘッドオフィス(登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン)を置く英国ロスチャイルド系企業グループの持株会社

 米誌フォーチュン誌の世界企業番付
   「フォーチュン・グローバル500」(2009年度版)
で世界411位となっている。
 
 
 英国の東インド会社の流れを汲む貿易商社が発展し複合企業化した。
 
 1832年、イギリス出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人の
    ウィリアム・ジャーディン
    ジェームス・マセソン
により、中国の広州(沙面島)に設立され、中国語名は「怡和洋行」であった。
 
 
 設立当初の主な業務としては中国市場への
   アヘン
の密輸と茶のイギリスへの輸出、武器の売買などであった。
 
 なお、同時期にロスチャイルド系の
   香港上海銀行(HSBC
が、ジャーディン・マセソンなどが香港で荒稼ぎした資金をイギリス本国に送金するために設立された。
 
 
 清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われた
   アヘン戦争(情報
に深く関わっており
   アヘンの輸入規制
をしようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会の
   英国議会
における
   ロビー活動
の成果により、イギリス本国の国会は9票という僅差で軍の派遣を決定した。
 

 大英帝国の植民地となっていた
   香 港
    (1842年の南京条約で正式に割譲)
に本社を1841年に移転した。

 中国での拠点はアヘン戦争の結果確保した
   上海の共同租界
外灘(バンド)の中山東一路27号に1844年に移し
   怡和洋行大楼
      (ジャーディン・マセソン商会ビル)
と呼ばれた。
 
 なお、現在は外貿大楼と呼ばれ上海市対外貿易公司や上海市外貿局等が入っている。
 
 
 1859年(安政6年)、上海支店にいたウィリアム・ジャーディン(姉の子)の甥
   ウィリアム・ケズウィック
が横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)に
   ジャーディン・マセソン商会
               横浜支店
を設立した。
 
 
 幕末期において松平慶永(春嶽)が領主であった福井藩の藩士 渡辺謙七の長男で
   吉田健三(吉田茂の養父)
が同社横浜支店長を勤めていた。
 

 ウィリアム・ケズウィックは1863年(文久3年)、長州藩士
   井上聞多(井上馨)
   遠藤謹助
   山尾庸三
   野村弥吉
   伊藤博文
らのイギリス留学を支援し、英国滞在期間中は、ジェームス・マセソンの甥にあたるヒュー・マセソン(ジャーディン・マセソン商会・ロンドン社長)が世話した。
 
 
 幕末動乱期に中国でアヘンを売りつけ中毒として国力を低下させ権益を拡大し植民地化の尖兵としての役割を果たしたともいうべきジャーディン・マセソン商会の関連として長崎代理店を設けるため1859年9月19日(安政6年8月23日)に
   トーマス・ブレーク・グラバー
が経営者として
   グラバー商会
を設立したうえ倒幕の流れを強めるために、五代友厚(薩摩)、坂本龍馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援し関係を築いていった。

 
 ジャーディン・マセソン・グループは、ウィリアム・ジャーディンの死後、甥であるウィリアム・ケズウィックの子孫によって運営され、香港では香港政庁に次ぐ就業者数と言われている。

 英国植民地政府によって19世紀前半にジャーディン・マセソンへと銅鑼湾など香港の主要な土地の多くが払い下げられた。
 
 
 香港の地名には渣甸橋(Jardine's Bridge)、勿地臣街(Matheson Street)、渣甸街(Jardine's Bazaar)、渣甸坊(Jardine's Crescent)、渣甸山(Jardine's Lookout)、怡和街(Yee Wo Street)といった社名にちなむ名前が付いたものが多い。
 
 
 第2次世界大戦後の1947年には一族経営による企業支配を強化した。
 
 創業以降、英国系の人材による企業支配が続いてきたが、1980年に
   長江実業
を率いる李嘉誠が敵対的買収を仕掛け、持ち株比率が約30%に達し筆頭株主になった。
 
 なお、李嘉誠はジャーディン・マセソン社の関連会社である
   ホンコン・ランド
に売却している。
 
 
 1997年7月1日に香港の主権がイギリスから中華人民共和国へ返還される前の、1984年に登記簿上の本社はタックス・ヘイヴンとして有名なバミューダ諸島・ハミルトンに移転した。(ヘッドオフィスは香港・ジャーディン・ハウス。)
 
 
 持ち株会社制度を1988年に導入し、関連会社を含め大幅な改組を実施した。
 
 ケズィック・ファミリーがロンドンの持ち株会社を支配し、ロンドン証券取引所とシンガポール証券取引所で上場した。
 
 現在の持ち株会社の会長(別称:大班)は、ケズィック・ファミリー6代目当主の
   ヘンリー・ケズィック
である。
 
 近年ではマンダリン・オリエンタルホテル等の経営で知られる。
 
 
   
  
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 (関連書籍)
       
 
 
 
 
posted by まねきねこ at 07:26| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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