パウル・ルートヴィヒ・ハンス・アントン・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・フォン・ヒンデンブルク
(Paul Ludwig Hans Anton von Beneckendorff und von Hindenburg)
1847年10月2日 - 1934年8月2日
ドイツの軍人、政治家でワイマール共和国第2代大統領(在任 1925年‐1934年)
プロイセン王国の東プロイセンポーゼンの
ユンカー(東部ドイツの地主貴族に対する呼称)
の家に長男として生まれ、父親はプロイセン第18歩兵連隊に所属する少尉
ローベルト・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・フォン・ヒンデンブルク
(Robert von Beneckendorff und von Hindenburg)。
で母親は軍医の娘
ルイーゼ・シュヴィカート(Luise Schwickart)
である。
第一次世界大戦の
タンネンベルクの戦い
においてドイツ軍を指揮してロシア軍に大勝利を収め、ドイツの国民的英雄となった。
タンネンベルクの戦いは第一次世界大戦初期の1914年8月17日から9月2日にかけて、ドイツ帝国とロシア帝国の間で東プロイセンのタンネンベルク周辺で行われた戦いで、
ヒンデンブルク大将
ルーデンドルフ参謀長
が指揮するドイツ軍はロシア軍の兵力はドイツ軍の2倍以上であったが、ロシア軍は無線による指令文に暗号を用いなかった。
このため、ドイツ軍はロシア軍の無線の内容を傍受して進路を知り、鉄道を利用して素早く大量の兵力を移動させた。
ドイツの1個軍が、それぞれ自軍の兵力を上回るロシアの2個軍の各個撃破に成功し
サムソノフ騎兵大将
が率いるロシア軍を急襲包囲して全滅させた。
包囲戦術の模範とされ、25万人のロシア兵のうち、12万5千人が戦死か捕虜となり、ドイツ側の損害は1万にすぎなかった。
なお、この戦いの後、ドイツはロシアへと侵攻したものの、侵攻した先ではロシア軍に敗れました。
なお、この戦いの後、ドイツはロシアへと侵攻したものの、侵攻した先ではロシア軍に敗れました。
大戦後期には参謀本部総長を務めたが戦後、ワイマール共和制となったドイツにおいて大統領に当選している。
アドルフ・ヒトラーを首相に任命し、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)政権樹立への道を開いたことでも知られる。
ベネッケンドルフ家は1280年にアルトマルク(Altmark)に興った家であり、やがてノイマルク(Neumark)を経て、プロイセンへ移住した。
代々が軍人の家系であり、一族にはドイツ騎士団に参加した者もいるという。
ノイマルク時代の1789年にベネッケンドルフ家はヒンデンブルク家と婚姻で結び付いた。
ヒンデンブルク家も13世紀から続く代々軍人の家系だった。
フリードリヒ大王の時代にヒンデンブルク家はリムブゼーとノイデックを所領として与えられる。
その後、リムブゼーの所領はやがて失ったが、ノイデックの所領はヒンデンブルクが生まれた頃にも残っていた。
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