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2010年09月05日

根津 嘉一郎 日本の鉄道王

根津 嘉一郎(初代)
 万延元年6月15日(1860年8月1日)
          - 1940年1月4日 
 
 
 東武鉄道や南海電気鉄道など日本国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わったことから鉄道王と呼ばれる。
 
 甲斐国山梨郡正徳寺村(山梨県山梨市)の雑穀商や質屋業も営む豪商で
   油屋の屋号
を有する農家に生まれた。
  

 1877年に山梨郡役所の書記として働いていたが、民権運動にも携わっている。
 長兄の死により家督を相続し、1889年には村会議員となった。
 
 その後、東京へ進出し、郷土の相場師である若尾逸平や雨宮敬次郎と知り合い、甲州財閥を形成している。
 
 第一徴兵保険会社や帝国火災保険、富国徴兵保険など保険会社の資金を運用し、東京電灯の買収などに関わった。
 
 
 
 1905年には東武鉄道の社長に就任し、経営再建に取り組むなど経営に行き詰まった企業を多く買収し、再建を図った。
 倒産企業などを手がけたことから
   火中の栗を拾う男
   ボロ買い一郎
との異名もある。
 
 
 資本関係を持った鉄道会社は24社に及び、多くの会社において名誉社長などに就任、甲州出身の早川徳次をそのうち数社に送り込み、経営を任せて再建している。
  

 社会から得た利益は社会に還元する義務があるという信念のもと、教育事業も手がけ、1922年に旧制武蔵高等学校(現在 武蔵中学校・高等学校)を創立している。
 
 
 晩年に経営者となった東武鉄道との関係は、1905年に780株を取得したことから始まる。
 
 これは根津が当時所有していた他の鉄道会社の持株数に比べるときわめて少ないものであり、当初経営への参加は当然行っていなかったが、赤字続きだった東武鉄道からの要請もあって経営に参加し、路線延長や東上鉄道との対等合併を推進するなどその手腕を発揮した。
  

 根津は投資家として資本参加した南海電気鉄道、京浜地下鉄道、南朝鮮鉄道をはじめとする全国の鉄道の取締役に就いていたため、昭和に入る頃までは、東武鉄道の経営が主な仕事となっていなかった。
 
  
  
 
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posted by まねきねこ at 06:04| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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