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2010年07月19日

ジョー・マッセリア 通称 ジョー・ザ・ボス

ジョー・マッセリア 
 本 名 ジュゼッペ・マッセリア(Giuseppe Masseria)
   1879 年 - 1931年4 月15日
 通 称 ジョー・ザ・ボス
 シチリア島カステッランマーレ・デル・ゴルフォで生まれた。
 シチリアでの殺人容疑から逃亡する為、1903年に米国に移民し、ローワーイーストサイド(NY)の
   モレロ・ギャング団
のヒットマンとなった。
 なお、モレロ・ギャング団はジュゼッペ・モレロとニコラス・テラノーヴァの家族で構成された範囲組織である。

 シチリア系とナポリ系のギャング組織の抗争である
   マフィア カモラ戦争(1914年から1917年)
でニック・モレロ(ニコラス・テラノーヴァ)が1916年に暗殺された。 
 モレロ・ギャング団は分裂状態となりマッセリアはそのうちの一つの派閥のリーダーとなった。

 この内紛において、マッセリアはブルックリンでマフィアのファミリー間の仲を取り持つ相談役
   サルヴァトーレ・"トト" ダクイッラ
の支援を受けた。

 1922年、マッセリアは彼の自宅前で、敵対していた
   ロッコ・ヴァレンティ
     (ウンベルト・ヴァレンティ)
の襲撃を受けた。  
 ボディガードは死亡したものの、マッセリアは無傷で生き延びた。

 襲撃事件の翌月、マッセリアはモレロギャングのリーダーだった
   ピーター・モレロ
と密約を交わしたうえでマッセリアの襲撃を指示をしたロッコ・ヴァレンティを暗殺した。

 この結果、モレロ・ファミリーの新しいボスはジョー・マッセリアとなった。
 そしてナンバー2の地位にはピーター・モレロが選ばれた。

 ピーター・モレロは
   警察からの監視活動
から逃れたいという願望があたため、自らナンバー2の地位を望みマッセリアの下で相談役またはアドバイザーの地位で安泰な生活を得たという。 

 1928年7月にボスのフランキー・イェールが亡くなった。
 これによりマッセリアはニューヨーク・マフィアの全体的なリーダーになるという野心が膨らんだ。

 同年10月にピーター・モレロらによるブルックリン区を支配していたマフィアのボス
   サルヴァトーレ・"トト"・ダクイッラ
の暗殺が実行された。

 NYマフィア内におけるダクイッラの相談役としての地位の上昇が、モレロには我慢できなかったための行動とも言われた。
 ただ、モレロファミリーの勢いは暗殺実行ののち下り坂に入った。

 ダクイッラのファミリーはマッセリアの盟友であるアル・ミネオと彼の用心棒のスティーブ・フェリーニョが引き継いだ。
 マッセリアはイェールの組織の乗っ取りに動き
   アンソニー・カーファーノ
をイェール・ファミリーのボスにした。

 カーファーノらはイェールが運営していたギャンブルと密造酒の販売を支配した。
 また、港湾での恐喝行為もしていたが、港湾区域はダクイッラ・ファミリーのボス
   アル・ミネオファーノ
が牛耳っていた。

 ジョー・マッセリアは今や
   "ジョー・ザ・ボス”
としてニューヨーク最大のマフィア・ファミリーを率いるボスとなっていた。

 他のシチリア系ギャング達は、それまでマッセリアの帝国の一部には組み込まれていなかったといわれている。

 労働組合を暴力で支配した
   ルイス・バカルター
   グラフ
とウェクシー・ゴードンやオウニー・マドゥンのような密造酒業者達らは政治的コネを作り、莫大な富を得て、強力なギャング団を組織していた。

 そして他に急速に勢力を拡大していたダッチ・シュルツやブロードウェイ・ギャングはマッセリアらの存在を認めようともしなかった。
 なお、当時のイタリア系マフィア達のほとんどは
   ブラックハンド
と呼ばれ同胞のイタリア人移民からの搾取で収入を得る行為が主流であった。

 マッセリアはまず、ブロードウェイ・ギャング団の取り込みを計った。

 秘密結社の儀式と慣習に対しほとんど関心が無く
   伝統的なマフィア
に対して不満を抱いていたギャング団で唯一のシチリア出身者でリーダー格だった
   チャールズ・ルチアーノ
に目をつけた。

 なお、他のメンバー、フランク・コステロとアルバート・アナスタシアはカラブリア地方出身、ジョー・アドニス、ヴィト・ジェノヴェーゼ、アルカポネはナポリ生まれ、そしてマイヤー・ランスキーとバグジー・シーゲルはユダヤ人であった。

 マランツァーノはシチリアの
   ドン・ヴィト・カッショ・フェロ
がアメリカ・マフィアでの影響力を得る為に、1927年にシチリアから送り込まれた人物のうちの1人だった。

 これに対し、マッセリアはマランツァーノの暗殺命令を出し、のちに
   カステランマレーゼ戦争
と呼ばれる抗争が始まり多数の組員が犠牲となり消耗戦が続いた。
     
   
posted by まねきねこ at 03:00| Comment(0) | 人物伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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